- 岡村友章
コーヒーの空気
「お茶する」という表現に、茶ではないコーヒーが内包されると気が付いたのはここ最近。
なんだかんだで、やっぱり美味しいコーヒーのことが気になります。
◎ お茶は1200年前から。
コーヒーのことを考えるために、お茶も並行させましょう。
平安時代の歴史書「日本後記」は西暦840年に完成しました。
唐から帰った僧侶・永忠さんが、嵯峨天皇に「茶を献上した」…とあります。
書物に茶が初めて登場したとされる箇所です。
こののち日本人のお茶の飲み方は、唐・宋・明…と、
中国から輸入されるスタイルを真似しながら発展しました。
◎ コーヒーは200年前から。
門外漢といっていいほど知らないので、
歴史に関してUCCさんの年表を参照しました。ありがとうUCC!
http://www.ucc.co.jp/enjoy/knowledge/history/
1782年、蘭学者の志筑忠雄は訳本「萬国管窺(ばんこくかんき)」で、
コーヒーのことを「コッヒィ」と記し、これが日本の文献での初登場だそうです。
日本人と茶・コーヒーの出会いには、文献では約1000年も開きがありました。
茶の1000年分のリードを、一気に200年で詰めるコーヒー文化。
なんともいえず、すごいですよね。
◎ 1000年違うけど、共通点も
UCCの年表を眺めていると、最初のほうに「コーヒー発見伝説」が書かれています。
アラビア人のヤギ飼いは、ある豆を食べたヤギが興奮することを知る。
近くの修道院の院長に知らせ、院長が茹でて食べたところ覚醒効果を得た。
やがてこの修道院は「眠らない修道院」と呼ばれ、修行に励んだ…
今では言わずと知れたカフェインの効果ですね。
宗教施設でカフェインを利用して頑張って修行した…
という意味で、お茶も同様です。
鎌倉時代。栄西は「喫茶養生記」のなかで、茶の効能のひとつとして
「睡眠自除」を挙げました。
寺院で、お茶を飲んで僧侶が修行に励んだのだそうです。
コーヒー発見伝説と同じだし、受験生が夜なべするのとも、同じです。
◎ いま、コーヒーとお茶は。
違うような同じなような。ついたり離れたりのお茶とコーヒー。
カフェインを中核に添え、かつ香りを楽しむ嗜好性飲料の側面は共通しています。
でも…歴史は置いといて。
いまの私たちのふだんの暮らしでは、
また役割がちょっと違うような気がしませんか。
そう思ったのは、近所の本屋さんで購入したまんが
「コーヒーもう一杯」(著:山川直人さん)がきっかけです。
https://www.enterbrain.co.jp/product/comic/beam_comic/04253401.html
短編のまんが集で、登場人物の暮らしの折々にコーヒーが登場します。
暮らしのしんどいところ、甘いところ。
いずれをもやんわりと表象し、生活の中にストンと溶け込んでいる
コーヒーという飲み物が描かれているのです。
僕が上に書いたような薀蓄もなければ、
無駄にコーヒーが主張することも、ありません。
でも、たしかな存在感をもって、1杯のコーヒーが描かれています。
ひとりで黙々と入れるドリップコーヒー。
弱ったじいさんに淹れる優しい一杯。
貧乏人が始めて入る豪邸で飲み、思わず唸ってしまう旨い一杯。
冷たい夜風を感じて飲む一杯。
昔を思い出す一杯。
コーヒーはこういう風に暮らしに馴染んでいるんだ!
どんな場面にだって、コーヒーがストンとそこにある。
日本茶が失った、あるいは失いかけているものは、
コーヒーがしっかりと受け止めて頑張っているではないか。
日本のお茶も、もう一度、立ち上がろう。
いや、立ち上がらなくても、机の上にあればいい。
日本茶は、いつもおいしいままで、そこにあった。
変わってしまったのは、お茶じゃなくて、人だ。
コーヒーに学ぼう。
そんな風に思わせてくれた、素敵な一冊でした。
コーヒー文化とそれをとりまく人々に、乾杯!