- 岡村友章
反比例。

百聞は一見に如かず。
4月1日から8日まで、九州に行ってきました。
目的は、九州にいまも残る「釜炒り茶」の生産者を訪ねること。
日程はこんな感じでした。
<熊本>
4/2 八代市泉町の船本さんと面会。
4/3 水俣市薄原(ススハラ)の松本さんと面会。
同市石坂川の天野さんと面会。
4/4 芦北町告(ツゲ)の梶原さんと面会。
<宮崎>
4/5 五ヶ瀬町の宮崎さん・興梠(コオロギ)さんと面会。
4/6 同町の赤藤さんと面会。
4/7 椎葉村の椎葉さんと面会。
「あの人のところに行くといい!」という、繋ぎの連鎖で
思っていた旅程とまったく異なる工程です。
最後にお会いした椎葉さんだけは自家用茶を作る方で、
ほかは生業としてお茶を作る方々でした。

父、祖父、または曽祖父が植えたという、在来種の茶樹が、
訪問した多くの家庭で残っていました。
在来種の生み出す味わいは、得てしてさっぱり・あっさり。
釜炒り茶の風味ともよくなじんで、「日常のお茶」「暮らしのお茶」とも
いうべき風格を備えています。
しかし、在来種は大型機械などが入り込みにくい場所に
植わっていることが多く、刈り取りに手間がかかります。
加えて釜炒り茶の製茶が要する手間もあり、釜炒り茶の本場・九州においても
より効率的に生産できる「煎茶」に移行するところが多いと聞きます。
最初に訪問した泉町の船本さんは、その状況下においても
あくまでも釜炒り茶を残しておられます。
気が付けば、同町内で釜炒りを行うのは船本さん一家だけになってしまいました。
いまは茶業を息子さんに引き継ぎつつも、ご自身の創作意欲は
絶えることなく茶に取り組んでおられます。

一方、宮崎県の五ヶ瀬町(上記写真)は少し状況が異なります。
町をあげて「五ヶ瀬みどり」ブランドのもと釜炒り茶を推しているのです。
全国的に有名な宮崎茶房はその筆頭といえるでしょう。
さらに、同町内で最初に商業茶園を始めた「小笠園」も健在で、
五ヶ瀬の釜炒り茶をめぐる状況は楽しみです。
もちろん、釜炒り茶なら何でもおいしい訳ではありませんが…

五ヶ瀬町の桝形山からの展望。
熊本の阿蘇山や、根子岳が見えています。
この風景のもとお茶が作られていると思うだけで、
なんだかおいしい気分。
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最後に訪ねた椎葉村では、椎葉さん(同名の人がたくさん!)から
自家用釜炒り茶の話を伺うことができました。
自家用のお茶こそ、日常で楽しまれるお茶の原点にほかなりません。
彼らの暮らしはまさに「百姓」。仕事だらけでとにかく忙しい。
そんななか、自然にまかせて伸ばす茶樹から作る釜炒り茶は格別のかおり。
余計なことを人がすればするほどに、茶の風味は落ちていくようです。
あまりに忙しいから、製茶だってほかの仕事の塩梅をみながら進めます。
刈った茶葉を、ほどよく寝かせてから製茶。ここにも、おいしくなる秘訣が隠れていますが
その話は別のときに。
椎葉村では、自然ありきの人の暮らしが残っていました。
お話しを伺った椎葉さんは、こんなことをぽろりとこぼされました。
この村では、星がきれい。
ときどき、星が降ってくる。
?と思ったけど、素敵な言葉だとおもって、なにも聞きませんでした。
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僕は、農家と皆さんの橋渡しになりたいと願っています。
自分というフィルターをできるだけ消して、
そのまま生の情報を伝えたいのです。
そのために思うことは、ひとつ。
「マニアックになってはいけない」。
この記事もそうですが、お茶が好きすぎるあまり
思わずマニアックな話に傾いてしまう。
話せば話すほどに伝わらない反比例。
伝えるのは、本当に本当に難しい。痛感しています。
お茶だけでなく、それを作る人の気持ちや暮らしぶりなど、
都市に住まう私たちにとってかけがえのない話が山ほど。
でも、やっぱり伝えるのが、難しい。
どうすればいいだろう?と、悩みます。
でも、こう言っている最中にも、今年の新芽が伸びる様子を
丁寧に観察する農家さんがたくさんいるのです。
だから、やめられないのです。
そのような気持ちを新たにして、これからもほどよく頑張ろうと、
そう思っています。
お茶は、数奇者のためのものであってはならない。