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  • 岡村友章

故郷


「日本茶を売っています」と言うようになってから4か月が経ちました。

一日に一度は、どなたかから質問されます。

「どうしてお茶なんですか?」

この問いに対して慣れてきたのか、答える自分がどことなくよそよそしくなってきたことを感じ始めました。いま一度「お茶っていいな」と感じた日のことを改めて書き留めてみようと思います。

初心の、備忘録です。

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上の写真は、母方の祖父のふるさと。

徳島県 美馬郡 つるぎ町 貞光 家賀(けか)の集落。山に寄り添うように家々が建つ風景の美しい山里で、言い方は嫌いですが、いわゆる限界集落のひとつです。

祖父はここで生まれ育ち、10代のうちに地元の仲間と京都へ渡ります。60年以上前のこと。京都で名の知れた大手工務店の創業に携わり、大工として働きました。そのまま京都で結婚し男女の子をもうけ、やがて大阪・高槻市上牧に居を移します。

そうそう、祖父の妻(祖母)は滋賀県日野町の出身で

その縁から私は日野町の茶農家・満田久樹さんの在来煎茶を扱っています。

以後、祖父は故郷へは時々帰るも、住まいとして戻ることはありませんでした。

それでも祖父の故郷への愛情は尽きません。私が幼少のころから、訪ねる度に故郷の話を語って聞かせてくれたものです。同じ話を数百回は聞いたのではないでしょうか…

...

時は流れて、2014年の秋。足を痛めてしまい自力歩行の難しくなった祖父は、家賀の話をやめるどころか、より恋しくなったようでした。

その当時から、時おり認知症を思わせるような状態が見られました。しかしそれでも、故郷の話に関しては、鮮明・流暢に語って聞かせるのです。長らく田舎に帰っていない祖父を前に、何か出来ないかなあと思案しました。

…そうだ!おじいちゃんの代わりに徳島へ帰って、会いたい人の話を聞き、見たい景色の写真を撮ろう!と思いついたのです。

数日後、一人で大阪から淡路島を経由して徳島へ。やると思ったらすぐにやらないと気が済まない性格なので。

高速道路を降り、貞光の街路を抜け山間部へ入ります。貞光川の色は吸い込まれるような美しさ。ちょうど紅葉の時期になりつつあったから見とれるような景色が続きます。

息をのむ谷間の絶景に、言葉を失いました。

流れの早い雲が山々に影を落としてどんどんと陰影が変わるさまには、人智など何でもないような、圧倒的な荘厳さがありました。

奥に見えるのが祖父の生まれ育った家です。左は納屋(鳥小屋でもあったらしい)。中央は母屋。右は祖父にとっての祖母が暮らした家屋。

廃屋になってから相当の年月が経っています。それでも周囲の雑草が刈られているのは、隣に住む祖父の古い友人、K夫婦のお陰なのです。

...

突然の訪問ではあるけれど、そのKさんを訪ねました。

「こんにちは。岡村と申します。突然の訪問を申し訳ありません」

他所から人が訪ねてくることなど、恐らく殆どない土地。はじめKさんは、当然ながら訝しむ表情を見せました。

「この集落出身の、武田の孫です。祖父は足が悪くこちらに帰れる状態でもなく、かわりに故郷の今の状態を見てこようと思って大阪から来ました」

一転して、ぱあっと明るい顔をしてくれたKさん。あがれあがれと家にあげてくれたあとは、田舎流のもてなし。とめどなく溢れる、集落の古今の話。家の中に流れる時間は、大阪のそれとはまったく異なり時が止まっているようでした。

山盛りのおやつと一緒に出てきたのは、1杯の煎茶でした。

そのお茶は、Kさんが栽培して40年ほどになるそうです。

農薬は使わず管理。自力で製茶はできないから、最寄りのJAの製茶工場に茶葉を持ち込んで、代金を払い製茶してもらっているとのこと。

このお茶をたっぷりと急須に淹れて、ポットのお湯をおもむろに注いでお茶を淹れてくれました。

なんの変哲もないお茶でした。深蒸しに近く、香りはほとんどなく味も淡白。今の私が「売りたいか」と聞かれたら、味と香りだけで判断するならば遠慮するお茶だと思います。

でも、このお茶との出会いが私にとっての転機でした。

祖父は故郷にいたころ、お茶づくりを皆でやっていたそうです。蒸した茶葉を毎年手もみして、自家用に飲んだと話していました。

数十年の時を経てもなお、まだ同じ集落で自家用のお茶を作っている人と出会った。そのお茶の味わいの向こう側に、祖父の幼少期を見たような気がして、何とも言えない不思議な気持ちになりました。

何度か家族で訪ねたことがあった集落のはずなのに、その時ほど自分のルーツが徳島にあることを強烈に感じたことはありませんでした。この小さくも温かい集落で祖父が生まれ、それから約80年の時を経て、孫である自分が訪ねている。

そんな気持ちをじんわりと胸に感じながら頂くKさんのお茶は、どんな高価なお茶よりも、ずっとずっと美味しかった。

おいしい、おいしいと何煎もおかわりを頂く。

「そうか、そんなにおいしいか。わたしらも嬉しいな」

そういって、いそいそとお湯を沸かしなおして、何度でもお茶を淹れてくれたKさん。お土産にそのお茶を一抱えも持たせてくれました。野菜も、これでもかという程に!茶を介して心を交わした、一生忘れられない時間です。

その場に祖父はいなかったけど、どんなときよりも強く祖父のことを感じ、自分が生きていることの、その奇跡を思いました。

私にとって、人の温かみに触れられる穏やかな時間を与えてくれたもの。それが、お茶です。以後、全国で同じように昔ながらのお茶をつくる人たちがいることを知り、その暮らしや物語に触れてみたくなったのです。

気が付けば人前でお茶を淹れる機会に恵まれるようになり、何かに誘われるようにしてお茶を売る仕事を始めていました。

祖父は「友くんよ(私のこと)、人間は思いやりが大事や」と何千回も僕に言いました。そのことの意味が、このときの旅でやっと分かったのです。

旅は、文章を添えた写真集にまとめました。報告を聴く祖父は満足気でした。

それから3年、祖父はもう居ません。

でも自分の体の中に確かに祖父の血が流れていることを思うと、「居ない」という表現は十分ではないかもしれません。居ないけど、有る という風に感じています。

祖父は、自分の内側に有る。

それが嬉しくて、祖父が伝えてくれたことを、また自分も子や孫に伝えたいと考えています。それはお茶を通じてかもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにしても、「やらなきゃ」と感じています。

旅からの帰り道、家賀集落を臨む見晴台に立ちました。

祖父の故郷は自分の故郷なのだと知り、ここで流れた長い長い時間と自分との縁を思うと、涙が止まらなくなりました。

あの説明しきれない気持ち、遺伝子に刻まれた先祖の記憶とでも言えそうな何か…が、これからきっと色んなことが起きる人生のなかできっと大切な役割を果たすのでしょう。

人目もはばからず泣いたと言いたいところだけど、誰も通らない道。家賀集落は、もう長くないかもしれない山里なのです。私はいま大阪に暮らしていますが、里のことが気がかりでなりません。

どうしたらいいのだろう?ずっと考え続けています。今も。

あなたにとって、そんな故郷はありますか?

…と、何だか脱線しそうになってきたので、ここまで。

祖父のお陰でお茶と出会い、今の暮らしがあるって話でした。

長々とお読みいただき有難うございます。

私は、いつもこのときのことを思い出しながらお茶を手渡しています。


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