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  • 岡村友章

それは、誰のお茶


私には、3歳の娘と1歳の息子がいます。

娘は0歳のころから茶産地をまわる旅を一緒にすることも多く、いなかの人々の優しさと食事のおいしさ、そして家にいるときよりちょっと優しくなる親の雰囲気を楽しんでいます。

とくに1歳になる直前に熊本と宮崎をまわる長い旅をしたときには、九州の豊かな食材のおいしさに開眼したらしく、以来たくさん食べるようになりました。

それよりも前から、お茶は大好き。白湯のかわりにはじめて三年番茶を与えたところ、湯のみ1杯ぶんを一気のみしてしまった逸話もあります。それ以来、三年番茶を売るときの売り文句のひとつになっています。

話題は少し逸れますが、皆さんはお茶を飲むときにどんなことを判断基準にしていますか?それはおそらく、茶種ではないかと思うのです。

「今朝は食パンだから紅茶にしようかな」とか「今日の夕食は親戚の小さい子たちが来るから、飲みやすい番茶をわかしておこう」なんていうふうに。

私の娘の場合、判断基準は「誰のお茶か」です。「お茶飲むか?」と聞けば「蓮ちゃんのお茶がいい」とか「梶原さんのみどりのお茶」といったように、作った人を軸に選んでいるようなのです。

個人的に、その感覚は持ち続けてほしいと思っています。なぜなら今の世の中、誰がつくったものなのかわからない代物にあふれているから。そういうものが信用ならないと言いたいのではなく、単にそのほうがおいしく感じませんか。

スーパーで何気なく買った野菜と、親が畑でつくって送ってきた野菜。仮にその二つが全く同じものであったとしても、恐らく親に恨みでもなければ後者がおいしいと感じるのではないでしょうか。

それは五感とはちがって、思い出とか、気遣いとか、ノスタルジーとか、そのような極めて個人的なことが背景にあるはずです。含まれているアミノ酸の値とか、有機栽培だとか、はたまた数十年ものあいだ無農薬であるとか、そのような客観的な事実とは別なところに要因があります。

私が子どもたちに養ってほしいのは、その感覚。だから、想像力が豊かであれば、市販されているコンビ二スイーツだって構わない。それは誰かがつくったものだという気持ちを遣ることができればオーケーです。そのようにして、まずは「安全・安心」ばかりを追い求める食事ではなく、「頂きものであること」を理解していることは大切だと私は考えています。

何気なく食前に言う「頂きます」という言葉の前後には、無数のストーリーが控えている。

目の前のお茶の1杯がどんな壮大なストーリーを経てきたのか、想像をめぐらせることができる。それって、素敵なことだと思いませんか。

農家が時間をかけてつくり、届いたお茶。乾物という形で時間のとまった茶の命が、最後に水を得て燃え上がるとき。それを自らの手で淹れて目の当たりにするのが、お茶を飲むという行為の一側面です。

そうして私たちは、また命を長らえることができています。絶った命をあずかり生きていく。

話が壮大になってきましたが、この「誰がつくったのか」は私がお茶を売るときに難しさにつながっている点でもあります。私は、人で選んだお茶だと思っています。だけど、買っていただく際には、人ではなく味と香りがやっぱり決め手になります。

私とお客さんの間にある周波数を完璧にあわせること。それはできないことかもしれませんが、単に売りっぱなしにするのではなくて、ゆっくりとお話をしていくなかで、しっかりと伝え残していきたい気持ちです。

そういう思いもあって、最近ウェブサイトの「農家のこと」というページを補強しました。農家さんたちの姿や茶畑の様子を、写真でみていただけるようにしてみました。

ぜひご覧くださいね。

★次回の出店は10月10日の「山崎十日市」です。