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  • 岡村友章

海のむこうのお茶 / 対馬へ行ってきました


こんにちは。

冬も本番という様子で、スパイスのきいた甘いミルクティーがおいしい季節となりました。

今日は、日本海に浮かぶ国境の島・対馬(つしま)を訪ねてきた話をお伝えしたいと思います。遠慮なくたっぷり書きますよ!

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旅程は12月14日から18日。4泊5日の、いつもより少しだけ長い日程を組みました。なにせ対馬は大阪からとっても遠く、かつては伊丹空港から直通便があったと聞きますが、今ではまず福岡へ向かい、飛行機か船で渡らなければなりません。

どうして対馬を訪ねることになったのか。それは、金沢で茶店「茶舎 觀壽」を営む友人の古谷さんから寄せられた一通のメッセージでした。

「長崎の対馬に、昔ながらの作り方をしている釜炒り茶がありますよ」

さっそくその農家さんに電話をし、一袋のお茶を取り寄せたのです。自然に生えてきた在来種のお茶を手摘みして、肥料もできるだけ制限し、古い釜で炒っている良いお茶でした。

在来種の釜炒り茶は、一定程度以上の酸化発酵や強い火入れ(乾燥工程のひとつ)を行っていないかぎり、カラっとした香味が飽きのこない優しいお茶です。

これは農家さんにお会いしたいな、といつものように思い立ち、今回の旅に至ったというわけです。

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博多港から高速船に乗り、壱岐を経由して対馬へ到着。早朝に大阪を出るも、到着したのは夜。ひとまずは夕食をとって休もうと思い、対馬の南側玄関口である厳原(いづはら)を歩きます。

話には聞いていましたが、どこを見ても韓国からのお客さんばかり!老いも若きも、基本的に多人数のグループであるようです。店の看板などにはハングル語が併記されていました。

後から農家さんに聞きましたが、韓国のお客さんが一気に増加したのは東日本大震災がきっかけだったそうです。東日本への旅行が敬遠され、手軽に行ける対馬が好まれるように。釜山と対馬を結ぶ船も就航し、今では島の人口3万人に対して韓国から年間約30万人が来るようになっています。このおかげで対馬は潤っているけれど、急激な変化に追いつけず、習慣の違いが起こす摩擦に苦労する面もあるという話でした。

日本本土よりも韓国・釜山のほうが圧倒的に近い立地。対馬の北部からは、空気が澄んでいれば対岸の釜山の街並みが見えるほどなのです。国境の島であるため、対馬には陸海空の自衛隊が揃っています。

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翌朝、レンタカーを借りて島の北部へ向かいます。対馬は大変大きな島で、目的地へ行くのに2時間くらいかかることも。

途中、対馬の南北島を結んでいる「万関橋」で駐車。ここで農家の大石裕二朗さんと待ち合わせたのです。

トップの写真が大石さん。すらっとした背格好のとっても爽やかな方でした。細身で背が高い感じは、熊本の芦北にいる梶原敏弘さんを否応なく思い出す佇まい!梶原さんは「かまいりじまん 緑」の生産者でおなじみです。

万関橋は、大石さんの農園からはまだまだ離れています。茶園だけでなく、対馬の景勝地や史跡を案内しながら北上してくださるというのです。これは本当にうれしい!地元の方の生の声を伺いながら対馬を満喫する旅がはじまりました。

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まずは万関橋の話から。この橋は日露戦争の際に日本海軍が爆破して通した水路のうえにかかるそうで、この後も対馬では戦争を感じるスポットを数多く巡ることになります。

次に、ここから近くの和多都美神社(わたつみじんじゃ)へ。かの浦島太郎伝説や厳島神社のモデルとなったという説もある神社。

そこから山を登り、リアス式海岸・浅茅湾の景観を360度見渡す烏帽子岳展望所へ。人気の観光地ということですがオフシーズンということで人の姿はほとんどありませんでした。

無人島が、いったいいくつあるのでしょうか?見渡すかぎり島だらけです。

そこから山を降ります。対馬は、あなごの国内水揚げ量ナンバーワン。あなご漁師さん直営のお店「あなご亭」で昼食。大石さんのおすすめ「あなごカツ定食」は、とにもかくにも、びっくりする美味しさでした。

梅林寺へ。ここは日本最初の寺といわれているそうです。

"由緒によれば、欽明天皇の時代に百済の聖明王(聖王)の使節が訪れ、釈迦仏の金銅像一躯と経論若干巻物等を献上し、日本に仏教を最初に伝えた(いわゆる仏教伝来)とされる際に、その使節が、日本本土に渡る前にこの浦に泊り、滞在中に仮の一堂を建てて仏像(経巻)を安置したとされている"(「日本秘境探訪」から引用)

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道路脇のところどころに、茶の樹が生えています。誰かが管理しているという訳でもなさそう。

これらは種から育った茶の樹「在来種」で、遺伝形質がひとつひとつ異なります。(品種茶は、種ではなく挿し木で殖やすクローン)。国内の茶園から在来種は急激に姿を消しつつあります。

対馬はその特異な地理条件から、本土の茶と伝来経路が違うのでは、という考えも。本土には生息しない大陸系の生き物が多く暮らしており、有名なのは野生のツシマヤマネコ。ヤマネコは大陸のネコの亜種にあたり、大陸と対馬がかつて陸続きだったことを思わせます。お茶好きとしては「茶の樹も大陸から自然に入ってきたものだったならワクワクするな」と思うところ。

一般に日本の茶は、空海さんや最澄さんがまず遣唐使として中国から持ち帰ったとされています。この当時の喫茶文化は上流階級の楽しみとしてしか広まらず、本格的な普及は栄西さんによる導入を待つことになります。

いずれにしても茶は大陸からもたらされたもので、今でいう「日本」にもともとあったという説は否定されています。

離島である対馬のチャについて調査した池田奈実子さんらの調査報告書によれば、仮に朝鮮半島から対馬にお茶が伝播した経路があったとしても、対馬の在来種が純粋にその系統にあるとは断定できません。対馬の製茶技術や道具などは九州からもたらされており、その際に本土の種子が一緒に導入されていても不思議ではなく、現在の対馬の在来種はそれらが交雑したものの子孫という可能性もあります。

しかし本土の在来種の形態とは異なる個体群が残されているために、育種の素材として有用ではないかと同報告書ではまとめられています。「対馬系統の在来種」というロマンを残しており、とってもわくわくしますね。(しませんか…?)

(参考:池田奈実子・根角厚司・佐藤安志 著、農業生物資源研究所 編「長崎県対馬地方におけるチャの調査と収集」、植物遺伝資源探索導入調査報告書 Vol 17、pp 55-64、2000年)

マニアックですね。眠たい方もいるかもしれません。でも、しっかり旅費をつかって行ってきた旅のご報告ですから、濃いお茶を飲みながらどうかどうかついてきてくださいね!コーヒーでもいいんですよ。アルコールはちょっとがまん。

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夕方前に大石さんの茶畑に到着しました。

大石さんが管理しているのは、大部分が「べにふうき」という品種茶。主に紅茶に加工することを目的に日本で育成された品種です。(アレルギーに効くと言われているのは、べにふうきの緑茶です。念のため)

大石さんの家で茶業が始まったのは、裕二朗さんのお父さんの代から。もともと長崎県職員として本土の果樹育成指導に携わっていたお父さんが地元の対馬に戻り、12年前に柚子と茶の栽培をはじめられたのがスタートです。おじいさんは原木椎茸の栽培で財をなしたといいます。

裕二朗さんは本土の生まれ育ち。対馬での生活は、2年前にご両親の待つ島へ戻ってからが初めて。それまで関東で会社員をしていた裕二朗さんが、暮らしたことのない「郷土」への想いを重ね、一念発起してご両親と一緒に農業をやっていくことになったのです。

裕二朗さんは対馬へのIターンや、地元の方の定住を進める活動にも大いに関心があるようでした。島には本当に頼もしい存在ですよね。

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話はお茶に戻ります。

当初数年は農薬を使用していました。しかし寒害により茶園が大きくダメージを受けた年に、別な農家のアドバイスから農薬をきっぱりとやめてしまったそうです。虫が大発生することもありましたが、やがて天敵が増え、特定の生き物だけが増えないバランスが生まれてきたのです。

一方で、外来種のツマアカスズメバチにより養蜂が壊滅しかねない現状も問題視されており、ぜひこちらをご覧ください。対馬には、「蜂洞」という木をくりぬいて作る蜂の巣箱が島内いたるところに置かれており、現地ではマバチと呼ばれるニホンミツバチと、セイヨウミツバチを驚異的な速度で駆逐しています。韓国ではすでに被害がかなり進んでいます。

大石さんも、このツマアカスズメバチが本当に怖いと話しておられました。人に対する攻撃性も非常に強く、お茶をつくるのは命懸けです。どうかこの点だけでも、覚えていてください。

さて草取りは大変でないのですか?と聞いたところ、鹿や猪が茶畑に入り草を食べるので、さほど負担には感じないそうです。とはいえ対馬は人口3万人のところ、鹿が4万頭いると言われており、茶園にとっては助かっても柚子の樹皮をかじったりと付き合い方にみなさんとっても苦労しています。実際に私も一頭を見かけましたし、道に角が落ちていたり、鹿よけのネットに絡まってそのまま死んでしまったものも目にしました。

蜂が減っている話。鹿や猪が増えている話。

これらはどこの茶産地に行っても、ほぼ確実に耳にすることです。都市に住んでいる私は関係ない、とはどうか思わずに、都市を支えてくれているのは周辺の農業地帯であることに思いをよせて、ぜひ出来ることを考えてみてください。

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さてこの紅茶。本当においしい!びっくりしました。

ふわっとのぼる華やかな芳香。パワフルな口当たりだけど嫌みはない。水色もとても明るくて、淹れるだけでもわくわくしてしまいます。昨日、少しイベントでお出ししたところ皆さんに大好評でした。

実はこの紅茶、近日中にラインナップに入ります。水俣紅茶との双璧、お楽しみに。

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さあ次は釜炒り茶に使用している茶畑です。ご覧ください。

「べにふうきの茶畑と違う!」と思いましたよね?

そもそもどれがお茶だかわかりますか?背の低い樹がポコポコと勝手に生えています。かなり傾斜の強い斜面に在来種が生えています。大石さんのお父さんが柚子を植えようと山を切り開いたところ、茶の樹が勝手に伸びてきたものをそのままにしているという、ワイルド極まりない環境なのです。

ここにも農薬は使いません。肥料もかなり制限しており、じゃんじゃん伸ばし葉をつけさせるというスタイルではありません。

ここでは新茶の時期になれば近所のおばちゃん達に来てもらって、手摘みをします。茶葉は下にある工場へ持ち込んで、釜炒り茶に加工。

これらは熊本や宮崎にみられる青柳製の炒り葉機で、左のものは宮崎から。右の釜は、なんと熊本県八代市の船本繁男さんから譲り受けたという話です!船本さんは、私に釜炒り茶の楽しみを教えてくれた恩人。大石さんのお父さんは、この繁男さんから釜炒り茶の製造技術を教えてもらったようですね。

繁男さん。ときどきお電話をしては、元気にしておられるか話を聞いています。「

クラシックシリーズ 青柳製釜炒り茶(八代)」は、もはや彼にしか作ることのできないお茶。売る分を開封して、飲みたくなってきました。(実際、ときどきやってしまいます)

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大石さんのところでは、まだまだ緑茶の製造は安定せず、これからだとお話しておられました。一緒にテイスティングをして、私にわかる限りのアドバイス(といっていいのかな…)をお伝えしています。萎凋、炒り加減、乾燥、保管。アドバイスといっても、私が見てきた様々な釜炒り茶生産者のスタイルを話せるだけ話してきたという感じです。まだまだ私も勉強中。勉強は、楽しみながら一生かけたいですよね。

山茶の釜炒り緑茶は残りも多くないようで、次のシーズンを楽しみに待つこととなりました。一方で、思いもよらずすごくおいしい紅茶に巡り合ったことはうれしい収穫です。

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翌日も大石さんに案内をしていただき、対馬に残る戦時中の砲台跡や北側の玄関口「比田勝(ひたかつ)」、在来馬である「対州馬」などを見てまわり、また在来の「対州そば」をいただきました。

みっちりと対馬の魅力を仕込まれた私は大石家のみなさんとお別れして、ふたたび厳原港へ車を走らせました。

対馬を伝えていく仕事を、私もやりたい。お茶だけじゃない。裕二朗さんが丁寧にずっと案内してくれた対馬の魅力を胸に、本土の人たちに早くその話がしたい。わくわくと使命感と責任感で、胸がいっぱい!

この気持ちを、どんなふうに大阪に帰ってから表現したらいいのだろう?対馬に住まない私たちは、何を対馬から感じ取ればいいだろう?

大石さんのおいしいお茶が、きっとその道筋を大きく開いてくれると確信しています。まだまだ対馬についてはここでは書ききれない話がたっくさんありますから、まずは「対馬紅茶」を手にとってみてくださいね。

茶縁が、またひとつ繋がりました。

壱岐と対馬の間に広がる海。

さあ、ゆっくりと、着実にやることをやっていきましょう!


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