- 岡村友章
在来種のお茶と満田さんの話
こんにちは。
ここでは何度か書いているのですが、改めて向き合いたく文章にしてみます。
わたしにも、あなたにも大切な、在来種のお話。
そしてこの在来種を守っている茶農家のなかから、滋賀県 日野町・満田さんについてのお話を。

お茶は大別して2種類に分かれています。
品種茶と在来種。
品種茶は、どれも遺伝子が同じクローン。
香味、収量、耐病性、耐寒性、早生・晩生など、様々な側面で個性あるキャラクターを持っています。各地の研究機関で茶を交配・選別し、たいへん長い年月をかけて生み出される、とっておきの選抜選手です。
クローンといっても、清潔なラボで科学者が顕微鏡を使ってつくるのではありません。挿し木といって、樹の枝を植えて発根させます。遺伝子が同じなので性質が安定します。日本で最も普及しているのは「やぶきた」という品種。
在来種は、実生(みしょう)の茶です。
クローンではなく、種から成長したお茶のことをこのように呼びます。ひとつひとつの遺伝子が異なり、品種茶が圧倒的な主流になる以前は、在来種がふつうでした。
在来種の主根は地中深く張ることで知られており、地下5メートルほどに及ぶこともあると聞きます。実物を見たことがあるのですが、大人の脚ほどの太さをしており驚愕したものです。
また土地の環境によく適応します。たとえば滋賀県東近江市 政所では、大雪となると外から導入した品種茶は重みに耐えきれず折れる場合があるところ、在来種は枝がうまくしなって無事に冬を越してしまいます。
形質が違うので病気に対する耐性もひとつひとつ異なっています。品種茶では耐性がどれも同じであるために、アっというまに病気が広がってしまうような場合でも、在来種ではさほど広がらないと聞きます。

在来種の栽培面積は年々減っており今では国内の茶園のうち1%程度。
私は、手に入る限りは在来種のお茶をラインナップに入れるようにしています。
理由はふたつ。個人的に在来のお茶がおいしくて好きだから。そして、それを守っている農家を微力ながら応援したいからです。
在来種は、一言でいえば「飲みやすいお茶」です。
在来種の畑は、ひとつひとつ遺伝子がちがうので天然ブレンドのお茶になります。品種茶のようにキャラクターははっきりせず、キラリと光るユニークな個性はあまり感じません。しかし、あえて言うなれば強い主張のないところが在来種の「主張」。
素朴で、飲みやすくて、飽きないのです。薄いということではなく、むしろ複雑な味の層を感じることも多いです。
きらびやかな言葉で飾るにはどこかふさわしくないし、メディア映えもそんなにしないでしょう。思わず人に自慢したくなるものでもないかもしれません。
でも在来種のお茶には、確かに飲む人にそっと寄り添ってくれる優しさと包容力があります。そういう飲み物を、改めて日々の暮らしの真ん中の、ちょっと脇に用意しておくことがとても大切だと私は考えています。

こちらは、滋賀県 日野町の満田久樹さん。
在来種とやぶきた種の畑をおじいさんの代から受け継いで、今も20年以上の無農薬有機栽培で守り続けています。
飯田辰彦さんの著書「日本茶の『発生』」で彼のことが紹介されており、また日野町は私の祖母の故郷でもあり何度も訪ねていたため、縁を感じて訪ねていったのがはじまり。
著書の中でも彼は「オヤジから茶業をバトンタッチするとき(中略)体が欲する茶をつくりたいと思った。自分の子どもが喜んで飲んでくれるようなお茶ーそんなお茶がつくりたい」と語っています。
彼の体が受け付けるのは、在来のお茶でした。
とはいえ、在来種にはいいことずくめという訳ではありません。
まず、多収のやぶきた種と比較すると3割ほど収量が少ない。
(これはやぶきたがその分肥料を必要とすることと裏表です)
また成長がゆっくりなので収穫時期が遅くなりやすく、一般に「早ければ早いほどいい」とされがちな市場においては不利なのです。
(早ければ必ずしもおいしい訳ではありません)
こうしたことを予め見越してか、久樹さんが茶業を注ぐとき、お父さんからは「在来をやぶきたに植え替えようか」という提案があったそうです。それでもご自身と、子どもたちが飲みたいと思えるお茶のために、彼はお父さんの提案を断り、在来を守っていくことを決めたのです。
また無農薬有機栽培にも舵を切ってから、すでに20年以上が経過しています。
お茶づくりの技術について彼の話を伺っていると、その観察眼と経験の豊かさに、度肝を抜かれてしまうのです。満田さんのところには様々な茶葉が持ち込まれ、加工を請け負うことが数限りなくあります。そのため様々な状態のお茶を見極め、適切に加工する勘と術が身についていったのではないでしょうか…。

ここで種あかし。
トップの写真は、満田さんのお茶です。在来種の、それも「荒茶」。荒茶って何?そう思われる方もきっと多いでしょう。
次の記事では、彼が手がけている荒茶と焙じ茶について迫ってみたいと思います。
いろいろと書きましたが、とにかく彼のお茶は、すんなり体が受け付ける優しいもの。うま味を主体としたものではなく、素朴な昔ながらの香りがあるお茶。
緑茶が苦手という方にも、きっと気に入ってもらえるのでは…と感じています。
彼のおかげで、私も本質に迫るお茶に出会えたと確信しています。
つづく。