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  • 岡村友章

胸ン中ノスカーットスルゴタル茶ダッタ。


先日の対馬訪問に引き続き、熊本県山都町馬見原へ行ってきました。

対馬の大石さんのところで出会った門内智子さん(写真の女性)とそのお母さんが切り盛りする「岩永製茶園」を訪ねるためです。

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まずはこの土地のことからご紹介しましょう。

ここ山都町 馬見原(まみはら)は熊本県ですが、智子さんのご自宅のすぐ横には五ヶ瀬川が流れており、対岸は宮崎県五ヶ瀬町。市町村合併の前は蘇陽町という町に属していました。

蘇陽といえば、ある方が言っていたことばを思い出します。

「蘇陽のお茶といえば昔ながらの釜炒りで、その茶農家たちは皆が肩で風を切るようにして歩いていたものだった。」

岩永製茶園のパンフレットにも、この地域のお茶について書かれているので、少し短縮してご紹介します。

「昔は各家庭で山野等の茶を摘んで、台所の鉄鍋で炒ってつくりました。元禄のころ、馬見原にあった肥後藩の国境の役人が、この地方の茶を賞賛して『青柳(あおやぎ)と命名す』と記録にも残っています。釜炒りは現在、一部の極めて限定的な地域でしか残っていません。」

かつてから交通の要所であった馬見原は宿場町でもあり、山間部にあるいわゆる「田舎」ではあれども、かつての賑わいを大いに感じるモニュメントや保存された建物がたくさん残っています。

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さて、そんな土地におじいさんの代より続くお茶づくりのため、智子さんが帰郷してお母さんと日々奮闘しています。

現在は昔からの釜炒り茶だけでなく、紅茶づくりにも励まれています。釜炒り茶は昔からの根強いファンが多いだけでなく、紅茶は2017年の国産紅茶グランプリ チャレンジ部門において金賞を受賞している、実力派!

ご自宅と、五ヶ瀬川の間にある茶畑です。

樹齢が100年をゆうに超えている在来種をはじめ、智子さんのお父さんである岩永博さんが在来種から優良な樹を選別して挿し木により殖やした「岩永1号」、たまみどり種、やぶきた種があります。

写真にある小径の左側に植わっているのが、昔からある在来種。多くは機械が入らないので、手摘みです。

ここでは農薬を使わずにずっとお茶を育てておられます。

早朝の茶畑を歩いていると、朝露のなか新芽の先っぽで佇んでいるアマガエルを発見。カエルを茶畑で見たのは初めて。お勤めご苦労様です!引き続き警備をよろしくお願いします。

今回、智子さんの緑茶はまだ摘み取り直前でしたが、稼働している地域の茶工場へお連れいただきました。

地域の手練れの職人たちが日替わりで工場を動かして、持ち込まれる茶葉を製茶しています。智子さんのお茶も一部ここに運び込み、手前の「連続式炒り葉機」からはじまる昔ながらの釜炒り茶づくり。

連続式炒り葉機、稼働しています。重油で熱した胴で炒られた茶葉が、上部に吹き上げられさらに炒られます。巻き込まれるので見学する機会があればご注意を!

これは、智子さん宅の茶工場内にある「丸釜」。

求めやすい価格で普段づかいのお茶として紹介しておられる「釜炒り番茶」は、この丸釜で軽い焙煎を経ています。昭和20年代製の機械ですが、今も動いていることに感動です。八代の船本さん、芦北の梶原さん、対馬の大石さんもこの釜を所有しています。

釜炒り番茶はラインナップに入る予定ですのでお楽しみに…。香ばしくて、食中食後のお茶としてとってもおすすめ。私も幾度となく旅の合間にいただきました。すっかりファンです。

さて智子さんが継いでからは、昔からの釜炒り茶に加えて紅茶の製造も。

このときはちょうど在来種の手摘みの時期を迎えていたので、ご一緒しました。

摘んだ茶葉は工場内で風をあてながら萎凋(いちょう)。

萎れさせて香りを引き出し、揉みやすくする、おいしい紅茶づくりでは決して外せない工程です。この工程だけでもほぼ半日。

このあとは、対馬紅茶の記事でもご紹介したように、発酵などを経て紅茶が完成します。茶摘みから早くてもだいたい1日かかる、たいへん手間と時間のかかる作業です。

ご自宅の玄関に飾られている書。小川八重子さんが書いたものです。

小川さんは茶道の指導者でありながら、作法から解き放たれた日々のお茶「常茶」を求めて国内外を歩き回り、作り手から話を聴いてまわった方。ご著書「小川八重子の常茶の世界」は読み進めるうちに頷ける話ばかりです。

小川さんがかつて岩永製茶園を訪ねたことは智子さんからも聞いていましたが、旅から帰ってから自宅で何気なくその本をぱらぱらとめくっていたら…こんな記述があったのです。

「熊本市から車で二時間、九州のちょうど真ん中にある高原に、馬見原という部落があります。此所で、岩永武蔵・博父子に遭って丹精の釜炒り煎茶を口にしたことで大仏開眼ではないが、私の茶に対する眼が、本当の意味で開かれることになったのだと思います。」

智子さんの父・岩永博さんのお名前を思いがけず発見しました。お父さんのことは智子さんからたびたび話に聞いており、小さいときからお茶づくりを手伝っていたこと、帰郷され本格的に関わるようになってからのこと、そして車で1時間ほどのところにいる船本繁男さんとも交流があったこと…など。

すでにお父さんは他界されていますが、釜炒り茶づくりにおいてその考え方や感性が智子さんにそっくりそのまま伝わっているであろうことは、お話の随所から感じていました。お会いしたことのない方ですが、小川さんの本のなかにお名前を見つけてとても嬉しく思います。本にして書き残す、という作業は本当に意義があるものですね。

そんな中、嬉しい連絡が。

「理想通りの、父の釜炒り茶ができました。」

私は、智子さんが「おいしそうな釜炒り茶」ではなく、「父の釜炒り茶」と仰ったことをとても嬉しく思いました。そこにあるのは、成分分析でほかと並べて評価されるものではなく、家族の大切な時間の積み重ねだからです。

そのお茶を私はまだ試していません。これから仕上げにかかり、6月に入ってから賞味することが叶うでしょう。

小川さんの本のなかに、馬見原のお茶をたたえて地元の古老が話す場面があります。

「昔ノ釜炒茶ハ、口ン中ニ含ムトシャガ喉ン奥マデ、口ン中一杯ニ、ナントン云エン芳気ノ、パーットヒロガツテ、ニ十分グライモ消エンダッタ。胸ン中ノスカーットスルゴタル茶ダッタ」

きっとお父さんのお茶も、こういうものだったのだろうなと思います。この文章を読んだとき、京都の snip! さんが間もなく出版される冊子「Snip! 2号」の序文を思い出さずにはいられませんでした。

そこでは、snip!さんが台湾で出会った自然茶を扱う店で、良質なお茶は「喉を開き、毒素を流し、気の巡りをよくする」ことを知ったと記されているのです。馬見原の古老も、これと同じことを言っているのだと確信しています。

釜炒り茶をめぐる旅は、まだまだ始まったばかりのように思えます。

私にできることは、その旅を皆さんに逐一お伝えすること。そしてお茶を手に取ってもらうこと。いいお茶とあなたが生み出す親和性の中に、あなたは何を見出すのでしょうか。

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今回の旅は、京都市等持院にあるカフェ muelek の野崎姉妹とご一緒しました。

一昨年、釜炒り茶のことをお話するイベントでもたいへんお世話になった場所…以前よりぜひ一緒に産地へ、とお誘いしていたのですが、奇跡的に姉妹と予定が合ったのです。

彼女らと一緒に摘んだ紅茶は、ただいま muelek でも味わうことができます。ぜひ。