- 岡村友章
"とりあえず" やってみたら3年目になった話
とりあえずやってみて、続けたらそれなりになる。
赤裸々な話をします。

17年に起業してから、3回目の新茶の時期を終えました。思うことを、自分の記録としても残しておこうと思います。
そして、何かをはじめてみたいけれどどうすれば?なんて思っているどこかの誰かにとって、ほんの少しでも「へえ」と思える話になればいいなと願っています。
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急須で飲むのが当たり前の家で育ち、祖父母の家でもそうでした。
転機となったのは2014年の秋。そのときのことは、この記事に書いています。
祖父の故郷へ行き、そこで田舎のお茶に出会いました。トップの写真にある、徳島県つるぎ町です。それ以来、本腰を入れてお茶のことにのめりこむようになりました。
でも、そうなるには素地があったのです。今日はその話を。
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私は、そのころ就いていた仕事を辞めたくて、どうしようもありませんでした。
夜中に目が覚め、闇雲に求人情報を閲覧しては「辞めるなんて、そんなわけにはいかないよな。お金はどうするんだ。結婚したばかりなのに」と携帯の電源を切り、朝が来るまでの短い眠りに落ちる。
当時は、妻と京都市で暮らしていました。お茶には何の関係もない、ちょっとお堅い仕事。そんなとき、お茶は「辞めたい」という思考が「転職先」という形で常に行き着く逃げ場でした。
「ひょっとして、これって仕事にできないのかな」なんて、適当なことを考え始めます。その気持ちの半分は、当時の仕事が嫌で逃げたかったから。
「お茶のために!」なんて、純朴で美しい心意気だけがあったわけではありません。だからまず知ってほしいです。
崇高なミッションとか、世間をあっと言わせるアイデアとか、そういうことはまずは無くてもいい。
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でも、ともかくお茶のことに少し詳しくなりたいなと思って、とりあえず手に取ったのは日本茶のコミック。
▶ 茶柱倶楽部
そこでエピソードの合間に紹介されていた、滋賀県大津市にあるお茶屋をとりあえず訪ねてみることにしました。お茶って静岡とばかり思っていたけど、滋賀なら大阪から近いし…くらいの気持ちです。
そうしたら次に、「すごいところがあるから、ここにも行ってみなさい」と紹介されたのが奈良のお茶屋でした。とりあえず行きました。
▶ 心樹庵(奈良市)
もの凄いラインナップを誇るこのお茶屋さんで、店主の米山さんから一冊の本を進められましたので、とりあえず買って読みました。
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この本では、著書の飯田辰彦さんが歯に衣着せぬ物言いで日本茶業界をぶった切ります。ご自身の足を使って茶農家に何度も会いにいき、現場至上主義を貫く姿勢がとても心に残るものでした。
登場する茶農家たちが自身のお茶を語るその言葉はどこまでも生き生きとして、厳しい現状にあっても貫徹する家々の姿勢を感じました。
このとき私は、お茶の栽培も、種別も、製造のことも、なんにも知りませんでした。だけど、思いました。「よくわからんけどおもしろそう!行ってみよ」
というわけで、あわよくば仕事を辞めてやるという魂胆も内ポケットに隠し持ちつつ、週末を利用して茶農家のところを訪ね始めます。
はじめて訪ねたのは、滋賀県 朝宮・北田耕平さんのところ。ここの焙じ番茶はいまでもずっとラインナップに入っています。アポなしでいきなり行ったのに、快く迎えてくださって…わからないことだらけの私でしたが丁寧に教えてくださったのです。
そのときの豊かな気持ちは、確実に今につながっています。
同時に、飯田さんの日本茶シリーズ本を読み漁りながら、登場する農家のお茶を片っ端から取り寄せて、自分なりにすべてを記録しました。農家に直接電話をするのは緊張しましたが、お茶屋で買うのよりもずっとエキサイティングで、生々しい現場感覚があったのです。
ただ、ひとつ問題が。
買いすぎて、家の棚が大変なことに…
増えるお茶。減る収納力と貯金。家族の白い目!
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そんなときに、友人からある人を紹介されました。
「いなりをつくってイベントで売っている人がいる。お茶と相性がよいだろうから、紹介するので一緒に何かやってみたら?」
それで直後にお会いする機会があり、意気投合してとうとうお茶の素人がイベントをやることになりました。
当時、京都市左京区にあった八百屋さん。ここで豆椿さんと一緒に、いなり、茶菓、お茶などを提供するカフェ営業を何度かさせていただく機会を得ました。
この時点でもずぶの素人で、今思うと恥ずかしいことを言っていたような気がします。でも、お客さんたちはみんなその話を喜んで聞いてくださり、豆椿の細井さんも、スコップ・アンド・ホーの井崎さんも、気持ちよく受け入れてくださいました。
とりあえずの気持ちで足を動かしてみた結果、老舗でもなければプロでもない、ほぼ素人の自分でもそれなりの形でイベントをやることができた。
「楽しいやないか…」回を追うごとに気持ちは高まります。そしてお茶を淹れるのも楽しいけれど、やっぱり茶葉を買って家で飲んでほしいなという願いも。なぜかって、私がそのように育ち、その時間はいつも豊かだったからです。
そうして、テントを張ってお茶を売る機会がやってきました。

▶ 水無瀬マーケットプレイス
地元・大阪府島本町の手作り市。子どものときから馴染みの商店街です。出店してみよう!と思い立ち、お茶を袋につめて、いざ本番。勢いで進めました。
そうしたら、3万円くらい売れました。
これで火がついてしまいました。
「売れるやんけ…もしかして、これって、いけるんか…?」
※残念ながらこのマーケットは今年の春をもって終了。
ちょうど同じころだったか、地元に小さなカフェがオープンしました。

突如オープンしたこのカフェに頼み込み、日本茶講座をやってみたのです。そうしたら、またお客さんがたくさん来てくださった。
続けて、「日本茶の日」と銘打ち月に一度のカフェ営業もさせてもらうことに。そうしたらやはり、たくさんの地元の方々がお茶をしに来てくださった。
ここまで来たら、やるしかないという訳です。
「おれは、けっこういけるぞ!」と思い違い(?)も甚だしいかもしれないけれど、根拠のない自信をもとに、前のめりになっていきました。
もうひとつ、毎月恒例のイベントにも出るようになります。
ここでも回を重ねるにつれて、立ち寄ってくださる方が増えました。今でもここは、大切な出店先です。
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ほどなくして、私は本当に仕事を辞めてしまいました。
紙一枚を出すだけのあっけない手続きに、「なんという小さなことで悩んでいたのだろう」と思いました。でもその一枚を提出するまでに、いったいどれほどの「とりあえずやってみよ」と「人の支え」があったかは、枚挙にいとまがありません。
17年に起業してから「お茶が好き!」とずっと声を大きく言い続け、素人だしとりあえず足を動かしてみて、助けてくださる人の力添えには遠慮なく甘え続けて、どうにか3年経ちました。
何より妻と子どもたちが一緒にやってくれているからこそです。

茶農家のところへ行く機会はどんどんと増えました。でも闇雲に行っているわけではありません。縁を大事に、今はお一人お一人との関係や、それぞれのお茶づくりについてもっと知りたいと思いながら過ごしています。
どうして、そのお茶をつくっているのか
ご家族がどんな道のりをたどってきたのか
機械のこと、栽培のこと、お茶とは関係のないこと
当初よりは、多少はいろんなことがわかるようになってきました。そのほとんどはテキストに書いていないことで、テキストは日々の疑問点を補う補足説明くらいに利用しています。
それでも、無尽蔵にわからないことが出てきます。あれもわからん、これもわからん。いったいどこまでいけば「わかる」のだろう。80をとっくに過ぎた熊本の船本さんは、研究熱心なままこのお年を迎えられ、最近では「もうお茶の味もようわからんなった」(よくわからなくなった)とまで仰います。
人類とお茶の付き合いはこんなにも長い長い悠久の年月を共にしているのに、わからんことがたくさんある。それだからこそ夢中になる人も多いようです。私もその一人。

「とりあえずやってみるか」で初めて、優しい人たちの支えがあり活動できる場を与えてもらい続けてきました。根拠のない自信だけを頼りに。
人付き合いが大嫌いだった私が、自然と人のことが好きになりました。
そうこうしているうちに、先日嬉しいことが。
この春からお付き合いのある、熊本県山都町の岩永智子さんが大阪に来てくださいました。
新茶の販売会をご一緒して、その翌日には日々お世話になっている方々と一緒になって食事会を。茶農家と会う機会なんてそんなにない皆さんはたいそう喜んでくださって、私はみなさんのうれしそうな顔を眺めながら「よかった、よかった」と、ただひたすらそう感じていました。
続けていたら、そしてちゃんと初志を忘れないでブレずにやっていたら、それなりにやれることが増えていく。
別に起業のススメを語りたい訳ではありませんが、気軽な気持ちの「よし、まあやってみるか / 行ってみるか / 会ってみるか / 食べてみるか」がどんどん増えたなら、世の中はもっと楽しくなりそうだなと思っています。
何の参考になるかもわからない話ですが、3年目を迎えられてとても幸せです。その気持ちを書き残しておきたくて、記事にしました。
ぜひ、とりあえず何かやってみてください。当たるも八卦、当たらぬも八卦です。それくらいでいいじゃないですか。