- 岡村友章
何も言わない一歳の女の子と話を
今日は京都で出店しました。
一歳の女の子とお母さんが来てくれました。ちょうどそのとき焙じ茶を淹れていたので、「どうぞ」と試飲してもらいました。女の子もコクリと一口。
そのときはそれでお別れしたのですが、3時間ほどして帰ってきてくれました。
「この子、うちのお茶じゃだめって言ってて。お茶屋さんのが飲みたいって言うんですよ」
そこでもう一回満田さんの焙じ茶を淹れて、ピッチャーと器を渡して、離れた席でゆっくりしてもらいました。お母さんは代金を払うと言ったけど、その子の気持ちが嬉しかったから、お金はもらっていません。
一歳の子がお茶を飲みたいという気持ちを、お金と引き換えにしたくなかったのです。私は生業としてやっていますから、その点は賛否があるかもしれません。(最終的には、ドライフルーツを買ってくださいましたが)
子どもはすぐに気が変わるから、最後までその子が飲んだのかわかりません。でも空っぽになったピッチャーがしばらくして戻ってきました。
口数少ない子でしたが、お茶をしっかり選り好みして、ある意味では雄弁というべきでしょう。去り際に少しだけはにかんで、ぺこっとお辞儀してくれました。
たぶん、お茶という垣根のない言葉でお話をしたのです。
その子は冷房のきいた館内で体があったまっただろうし、私はあたたかい気持ちになりました。子どもの無邪気さが、あれこれ心配ばかりしている私の気持ちを晴らしてくれます。
してやれることは、おいしいお茶を用意して、待って、飲みたいと言われたらハイハイどうぞって淹れてあげることくらい。
それに対して時に彼らが返してくれる、目に見えず計ることもできないのにやたらと温かい何ものかを、落とさないように抱きながら、渋滞のなかもたもたと車を走らせて家に帰りました。
すいません。最後、カッコつけました。