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  • 岡村友章

古樹番茶・青柳製釜炒り茶、終売


こんにちは。

滋賀県東近江市 政所(まんどころ)の「古樹番茶」、熊本県八代市 旧泉村の「青柳製釜炒り茶」の2種は、それぞれ在庫がすべてなくなりましたので終売といたします。

古樹番茶は、当地の生産者である山形さんからふとしたときに紹介してもらったお茶です。政所で5年前に開業した道の駅の開発予定地だった場所にあった放棄茶園。この茶畑をつぶすにあたり、伐採したお茶の樹をまるごと使って三年番茶に近い要領で仕上がったのが、このお茶でした。

一期一会のお茶。すでに存在しない茶園から作られたものなので仕入れは二度とできない。特別なこのお茶の在庫の多くを山形さんから任せてもらうことができ、せっかくだから特別なパッケージに着飾らせてあげたいと思っていました。

大津市のオーガニックマーケットでお世話になっていた北岡七夏さんの木版画をちょうどそのころ目にしており、「お願いしたい!」と思ったが吉日。ご本人にお願いしてご快諾いただきました。現場を一緒に見て、それから制作してほしかったから、一緒に政所へ行くことに。

このとき山形さんから北岡さんへ、政所の古民家を改修した際に出た廃材が手渡されました。ここに彫り込まれたのは、政所の自由奔放なお茶・お茶の花・茶壷・茶摘みの籠。かの地の空気、おいしい食べ物、そして土地の魅力を精一杯ご自身の言葉で語って聞かせてくれた山形さんに感謝します。

99袋の在庫を、京都のmumokutekiでの販売会からスタートさせ、1年かけてゆっくりと紹介しました。先日最後の一袋が私の地元のお客様のところへ旅立ち、とうとう売り切れ。

山形さんに出会うまでもたくさんの点と点のつながりがあり、どれひとつ欠いてもこのお茶を私からご紹介することは無かったと思います。

まだお手元にあるよという方、うらやましい。本当は10袋くらい自分用に確保しようかなと思ったこともありました。

しかし、販売という形をとるので金銭との交換にはなりますが、やはりみんなで共有したい。そうすれば、ひとりでも多くの方に政所のこと、山形さんのことをお伝えできる。そんなふうに思って、結局はすべて旅立たせることになったのです。

10月末に台湾の鶯歌を訪ねたとき、「自然な人」であるべく老師から教えを受けたなかのひとつに、「分享」ということばがあります。独り占めしないで、みんなで分かち合うこと。それが自然な人として必要な行いのひとつだと。

ほぼ同時期のこと。熊本県八代市の船本繁男さんが、昔ながらの作り方にできるだけ忠実につくった「青柳製釜炒り茶」のほぼ100袋あった在庫も、尽きました。最後の一袋は、このお茶を何度も何度も繰り返し楽しんでくださった方に直接連絡してお渡しすることに。

船本さんとの出会いは3年前。たまたま読んだウェブ上の記事がきっかけ。

船本さんとの出会いは、そのまま、私が「釜炒り茶」の世界にはまってしまうきっかけに。勇気を出して船本さんのところに直接電話をかけて取り寄せたそのお茶は、独特の芳香があって、そして何よりいつまで飲んでいてもぜんぜん飲み疲れしない爽やかなお茶でした。

その頃私は、京都が近いこともありいろいろなお店をまわって、ちょっと高いお茶も含めてほんとうにたくさんの緑茶を試したものです。しかし、どのお店ですすめられるものを飲んでも、どうも「おいしい!」と思えるものがなかなか見つかりにくい。お茶ってこんなに難しいのかな…それとも自分の扱いや淹れ方に問題があるのかな…と悩んだのです。

船本さんのお茶はその気持ちをきれいさっぱり晴らしてくれ、「これでいいじゃないか」とすっと腑に落ちるおいしさ。実家や祖父母宅でとりわけ何も考えずにすいすい飲んでいたお茶たちとどこか通ずる、肩肘張らず格好つけない、実直なお茶でした。

船本家でつくられているお茶には2種あって、昭和20年代製の古い釜で繁男さんがつくる「青柳製」の釜炒り茶と、それよりも少し効率のよい連続式という機械を使い息子さんがつくる釜炒り茶。

繁男さんは昔ながらの香味が残る青柳製をちょっとだけ作られていて、2018年春には10kgだけ。そのうち出来のよかったロットを私が全量いただいて、少しずつ紹介してきました。

このお茶を手渡すたびに、お茶の将来を心配する繁男さんの気持ちや、味の濃い料理がばつぐんにおいしいお母さん、それから冗談をまじえつつ核心をついたことをいつも言う息子さん、そして私が手伝いにいったとき帰りにお茶と弁当を持たせてくれた娘さんたちのことが思い浮かびます。

一口飲んで、「苦い」「おいしくない」という子どもはこれまでただのひとりもいませんでした。それがこのお茶の魅力のすべてです。

今年の春に、山都町の岩永さんや京都市のカフェmuelekの野崎姉妹と船本家を訪ねたとき、「あんたもお茶のことがわかるようになったな」と繁男さんは言ってくれました。同時に、「おれは、もうお茶の味はわからん」とも彼は言いました。御年82か83歳という彼は、今年、販売するほどの量を製造していません。

来年のことはわかりません。なんとなく、ですが、もうこのお茶は仕入れることが出来ないのではないかと私は感じています。

でも、彼のお茶のお陰で本当にたくさんの縁に恵まれました。「私もこういうお茶が好き」と、どれほどたくさんの人たちが言ってくれたか。

来年の春も私は熊本へ行くつもりです。たとえ彼がお茶をつくっていてもいなくても、釜炒り茶の偉大な先生、そしてとことんこだわりの強い頑固者のおじいさんである彼の熊本訛りが聞きたくて、会いにいくことでしょう。

背筋が伸び、大きな手をした彼と握手をすると、「また明日からがんばろう」と思うのです。この人なくしては今の私のお茶に対する気持ちや考え方はありませんでした。

息子さんの手がける「泉村 釜炒り茶」はこれからも送っていただける限り、皆さんにご紹介したいと思っています。こちらもおいしいですから。

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というわけで、古樹番茶、そして青柳製釜炒り茶の販売を終えるお話でした。ちょっと、いやとても、寂しいです。


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