- 岡村友章
無農薬じゃなきゃ嫌な、あなたへ

(写真:無農薬の茶園で草を処理したあと)
農薬を使ったお茶を販売しています。
こんなことをわざわざ言う店は少ないかもしれません。けれど、私はこのことをきちんと言っておきたいと思います。
「無農薬のお茶が欲しい」「無農薬じゃなきゃ嫌だ」「お茶は飲むまで洗わない作物だから、農薬が怖い」と、もし反射的に感じる方があるとすれば、ぜひお読みいただきたいです。
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私が初めてお訪ねした茶農家は、滋賀県 甲賀市 朝宮の北田さんのところでした。
そのころ私はお茶を仕事にするなど考えてもおらず、ただ「お茶が好きでいろいろ取り寄せているのに、農家のことを知らない」というもやもやを内に抱えていました。
だから、平日は勤めに出る一方、土日の空き時間を使って農家のところを時々訪ねるようになったのです。当時、お茶の分類や製茶方法、栽培のことなど、何にも知りませんでした。(語弊を恐れず言えば、今もほとんど知らないと言ってもいいかもしれません。知らないことが次から次へと出てくるからです)
それでも快く茶畑と工場を案内してくれた北田さん。思い出深い一日がきっかけとなって、彼のところの焙じ番茶を今も取り扱っています。最初期からずっとあるロングセラー。(まだ創業3年目ですけどね!)
このお茶は、ラインナップの中では唯一、農薬を栽培期間中に使用しています。たとえこのお茶と同じ風味で、安くて、オーガニック適合のお茶があったとしても…私は北田さんとの縁を棒に振って、新しいお茶を買うことはきっとないでしょう。
どうしてか。今日はそんなお話をさせてください。
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北田さんだから、買う
私が「茶農家」という、それまで存在は知っていても会ったことのない人々と関わりを持つに至ったのは、北田さんのお陰です。
その縁を大事にしたいのです。北田さんは煎茶も作っていて、お会いしたとき「北田さんがいちばん好きなお茶は何ですか」とお尋ねしたら、「これやな」といって自家製の煎茶を淹れてくださいました。
朝宮のお茶らしく、蒸しが浅くて、乾燥の際の火香をほとんど感じない、潤いのあるお茶です。
「おいしいですね」といって頂くと、北田さんは「…そんなこと言ってくれるのは…岡村くんだけや」と仰いました。少し目がうるっとしていました。
そして彼は、茶農家がおかれている厳しい現状を語って聞かせてくださいました。そこで語られたことは、各メディアで明るく宣伝される「新時代の日本茶ムーブメント」とは真逆の現実でした。これは朝宮だけの話ではありません。
人手はどこも足りない。
70年代をピークとした市場で、かつてのようには売れない。
といって、生産者がPRから販売まで一貫してプロデュースするような余力もない。etc.
正直に現実をお伝えくださった北田さんを、僕は信じようと思いました。以来、ずっと北田さんのお茶を取り寄せています。彼が、私のためにお茶の世界の扉を開けてくれたのです。
ついこの間も、焙煎したばかりの番茶が10kg届きました。なんともいい香り!
私は彼のご厚意を、「買わない」という態度で裏切りたくありません。
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おいしいから、買う
言わずもがな、北田さんの番茶はおいしい。何気なく淹れられて、赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで…誰もがごくごく飲めるお茶は、「日本茶ムーブメント」が叫ばれる今こそ必要で、守らなければならない存在です。
ご近所でも評判です。たとえば大山崎の「プオルッカさんの編み物教室」では、教室中の定番の飲みものとしてもう長いこと楽しんでくださっています。
でも、このお茶は無農薬ではありません。
無農薬のお茶は、もっとおいしいのでしょうか。
皆さんはどう思いますか。
私は、おいしさと農薬の有無には、直接的な関係がほとんどないと思っています。たしかに無農薬で作られているお茶には、無農薬であるという魅力はあります。そのようなお茶を口にすることの喜び、生産者への感謝、豊かな気持ち。数値化できないお茶の楽しみというものがあり、単純にベロと鼻で感じる味覚だけにお茶のおいしさは留まらないことを示します。
農家の、環境や生き方に対する意識、そして思想信条や人柄。それが1杯のお茶に結実し、口に含むこと。これも「おいしさ」の大切な側面でしょう。五感以外のセンスを使って、おいしさを知る。これは人間ならではかもしれません。
これは絶対に否定されるべきではありません。
しかしそのことは、農薬を使っているお茶を避けたり、蔑んだりする理由として用いられてはならないものです。お茶の良否は、農薬の有無によってまず2つにふるい分けられるものではないからです。
何にしても、北田さんのお茶はおいしい。だから買っています。
※まれに、「飲めば農薬がわかる」と仰る方がいます。私は、肥料を使いすぎのお茶ならすぐにわかりますが、こと農薬に関しては全くわかりません。でも、その方はわかると仰るのだから、そうなのでしょう。しかしこれを「過敏」という言葉でくくるのは、いかがなものでしょうか。彼らの意見は嗜好ゆえではなく、身体のリアルな反応として語られるのだから、最大限尊重されるべきです。農薬を使っているお茶を口にすれば、体調が本当に悪くなる…そう仰る方が実際にいます。
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日々のお茶のために
お茶といえば、日本文化の代表選手。そう思う方もたくさんおられるのではないでしょうか。
中国の宋から導入された当時のお茶は、今でいう抹茶のようなものだったといいます。その形態は本国では消滅。日本に残った抹茶はやがて茶道として昇華し、一部ではステータスの象徴ともなるくらいになった… 抹茶は、powdered tea と言わなくても、matcha で通じます。ハーゲンダッツやスターバックスの影響もあり、日本的飲料の代表選手として受け止められているかもしれません。
やがて時を経て江戸時代に急須の製造が本格化しました。庶民の茶の間にも、当たり前の習慣として「急須でお茶」が根付いていきます。
でも、人口を考えてみましょう。
1900年代はじめごろ、日本の人口は今の三分の一ぐらいだったと推計されています。明治に入ってから激増し、1967年に1億人を超えました。
それにもかかわらず、また食文化の多様化にもかかわらず、お茶は日々の飲みものの一角を今も占めています。飲食店で食後に温かいお茶が出てきます。高速道路のサービスエリアでは、無料でお茶が飲めます。レストランで「お茶ください」と気軽にお願いすることができます。
これを支えるのは、大量生産の仕組みです。
大規模な茶園をご想像ください。温かくなると、茶園を覆い尽くさんばかりに成長する草を、あなたは草刈り機でどこまで相手にできるでしょうか。やがてこちらが先に倒れてしまうでしょう。
病害虫も発生します。だだっ広い圃場から、ひとつひとつつまみ出すのはほぼ不可能でしょう。
除草剤や殺虫剤をはじめとした薬剤の出番となるわけです。もちろんこれらにお金がかかります。
また、化学肥料も必要とされます。状況に応じて即効性のあるものが使用されますし、何より有機肥料は非常に高価なのです。
こうしたことが、単純に「体によくないもの」を生み出す営みとして見られてはいけないと私は思っています。これこそ、人々が日本文化の代表、とまで言えるくらいにどこにでもあるお茶の物量を支えているからです。
オーガニックを売りとして食料を販売する方は、たくさんいます。角が立つ言い方かもしれませんが、「オーガニック」だけが取り柄だとしたら、その商売は大量生産という比較領域があるからこそ成り立つもので、大量生産を尊重するべきです。
このことは、お茶に限らずあらゆる物事にもあてはめて考えるきっかけになるかもしれません。
※大量生産とオーガニックの両立について、私はいま多くを知りません。どなたかご教示くださると幸いです。
人間はものすごくたくさんいます。だから、ものすごくたくさんの食糧がいります。
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北田さんに感謝している。
北田さんのお茶はおいしい。
日々の飲みものとしての姿を支えるのは大量生産だ。
長くなりましたが、こんな話を伝えるきっかけにもなるから、私は農薬を使っているお茶も販売しています。そのことで後ろめたさも何もありません。
何事にもできるだけフェアでありたいものです。難しいし、ついつい失敗していることもありますが。自戒を込めた、今日のブログです。何か言い足りないことがあるような気がしますが、これでおしまい。