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  • 岡村 友章

春番茶を刈る

2021年3月15日(月)


朝4時に起きた。寒い・眠いで頭がいっぱいだけれども、冷え込む台所でどうにか卵かけご飯をかきこみ、お茶を3杯飲んでからリュックを背負い家を出発する。


島本駅から京都、草津、貴生川とJRを乗り継ぎ、ガタゴト動く古さが好ましい近江鉄道で日野駅まで向かう。うとうとしながら見慣れた湖東の景色を見やる。居眠りしていても、閉じたまぶたに直線的な光がちらちらと不規則に入っては消え、電車は朝日を受けた林の真横を通っていることがわかる。やがて日野駅に到着した。


今日は満田久樹さんのところで一日だけ働かせていただき、整枝と春番茶の収穫を一緒にすることになっている。


駅舎の外には久樹さんの車がすでに待っていて、助手席に乗り込む。ここで去年の夏に1ヶ月を過ごし、仕事を教えてもらった。半年経つのに、今日の久樹さんはまるで昨日まで僕が日野にいたかのような出迎えだった。カブで何度も通った旧街道を走り抜け、この町にも当然ながら時間が流れていたことを思う。日野の町並みは特に何も変わっていなかった。


満田製茶に到着。いつもここで働いている近所のお百姓さんで、皆が「はるちゃん」と呼ぶおじさんも来ていた。はるちゃんは満田製茶で60年余りも仕事をしているそうだ。創業者である久樹さんの祖父の代からここにいることになる。さすがに体の動きはゆっくりだが、はるちゃんの動きに迷いと無駄はなく、さながら伝統舞踊の師範だ。


早速準備にとりかかり、整枝に取り掛かる。この仕事は一年前にもここで教えてもらった。


久樹さんは落合刃物工業の茶刈り機に燃料を注ぎ、潤滑油を丁寧にスプレーする。


「この油で目玉焼きができんねん」

「たしかに、食用油って書いてあるけど…あんまり食べたくないですね」

「ふふふ。この作業、去年もやってもらったやんな。一年ぶりやけんど。覚えてる?」

「たぶん」


冬を越した硬い葉を刈って畝間に落とす。こうすることで、整った面に3ヶ月ほどして一番茶芽が出揃う。落とした葉はそのまま土に還る。


ここの土はふかふかで、いいにおいがする。有機無農薬30年のたまものであるこの肥沃な土は、もはやお金には替えられない満田家の宝だ。この土があってこそあのお茶の純朴さが生まれるのだが、それには製茶の妙技が掛け合わさっていることも忘れてはならない。


去年は茶畑になかなか行けない年だったから、こうして作業することが久しぶりで、堰を切ったようにみずみずしい感覚が体に戻ってくる。


エンジンの排気と刈った茶の青いにおいが混じる。耳を突き刺すエンジン音。はじめは軽い茶刈り機の重さは片腕にのしかかり、じわじわと疲労するが、それは心地よい。刈った枝を踏みながら次の畝へと移動し、合間に燃料を補給し、油をスプレーする。ひたすらにその繰り返しで、この作業は息が合わないと片方がしんどい思いをする。


途中、とりわけ枝葉の成長著しい場所があり、より馬力のある茶刈り機を使った。よく切れるが重たく、すぐ腕がパンパンになった。


10時、休憩となった。働いている皆が一斉に休む。夏は冷茶をがぶがぶ飲んだが、今日は熱い煎茶を淹れる。作業の合間のお茶がスポーツドリンク以上においしいことは内緒だ。


いつものごとく、父の武久さんの経済観測話が展開され、みなひっそりと聴いたり、茶々を入れたりする。一緒に作業をしていた久樹さんの息子は、休憩のときには入ってこない。年頃なのだ。


午前にはお茶を刈り落とし、午後からは製茶工場に持ち帰ってコンテナに保管しておく。春番茶の注文があるらしく、製造して販売するのだ。「出来たら僕にも送ってくださいね。飲みたいから」とすかさず久樹さんに念を押しておく。


途中、はるちゃんとふたりでトラックに乗り、話を聞く機会があった。はるちゃんは初代のもとで満田製茶の営業もこなしたらしく、そのとき初代から言われた言葉をしみじみと語ってくれた。


「昔、丹波まで営業に行かなあかん日がありましてなぁ。『そんなん、どうしたらええかわかりまへんわ』てお祖父さん(初代)に言いました。そしたらお祖父さん、こう言うたんです。『なぁんも売らんでええねん。そのかわり、自分を売ってこい』ってねえ…。お茶いうのは不思議なもんで、人を売るんですわ」


このような話は久樹さんもしょっちゅうする。初代の気持ちが今も継がれていることが、はるちゃんの話からわかった。



息子も茶刈り機を持った。


満田家と出会って6年くらい経つけれど、彼が作業に加わっているのを見たのはこれが初めてだ。

「ちょっと練習さすわ」といって久樹さんと息子が茶刈り機を持ち、ふたりで茶園に分け入る。息子は慣れない作業だから足取りがおぼつかず、どうにかこなしている。


親子が南中の光を受けながら茶園を進む様子は、ただ感動的だった。今日はこの光景が見られただけでも満足だ。


そうして軽トラック4台ぶんのお茶を刈り取って工場のコンテナに満載し、今日の作業はおしまいとなった。あっと言う間だ。


最寄りの日野駅ではなく、JR草津線の貴生川駅まで久樹さんが送ってくれるという。めずらしく息子もついてきた。彼のはじめての地下足袋を買うのだという。我が事のように嬉しい。彼は茶畑、そして父親の仕事との距離を自分なりに縮めているのだ。


車内、彼はスマホを触っている。


「な、スマホが欲しいって思ったの、いつのこと?」

「え、たぶん中1のときかな」

「それ、やっぱり無いと困るもん?僕が中学生のときは携帯電話すら誰も持ってへんかったから」

「めっちゃ困る。グループ通話もできんし」

「3人以上で電話すんの?器用やな…次に誰が話すねんって、僕やったらオロオロするわ。ね、久樹さん。僕は子どもが高校生になるまでスマホを持たさんようにするつもり」

「そう思うやろ。そやけんど、無理やねん。うちの子だけ困ってることがあったらなあと思うと」

「な、今日はお父さんと二人で茶刈り機を持ったやろ。記念すべきことやな。あのときカメラ持ってへんくて、写真を撮ってあげれへんかったから、残念や」


息子はふふ、という顔をして黙った。


自分より20も年下の彼が家業について何を思うかを知るよしもなく、またその気持ちに土足で踏み込んで無闇に聞き出すこともしたくはない。10代の心の機微にたやすく触れることは許されない。久樹さんが息子の将来について何を思うかも、僕ははっきりとは知らないし、出会って6年経つ今でも気軽に聞ける話題ではない。


ただ、親子が茶刈り機を持ったとき、父は息子に対してとても気を遣いながら指導していることがその空気から伝わってきた。その気遣いに、久樹さんの葛藤がそっくり現れていたと僕は思う。


そして地下足袋をいままさに買いに行こうとする息子の姿がここにある。茶業の最前線が、ここに極まっていると思った。


経済動向ゆえ業界の未来を憂う声はいたるところで聞こえ、まるでお先真っ暗であるかのように思える。スケールの大きなニュースだけを追っていれば確かにそうかもしれないが、それだけ見ていては見逃してしまう家単位の営みに目を向けたい。


そこには、母と子、父と子、夫婦、そしてご先祖も加わり、互いに心を通わせ合う姿がある。責任ある目撃者として、彼らの生活をお茶ということばを使って言い表し続けたい。


...


貴生川駅で車を降り、礼を言って父子と別れる。息子は後部座席から出てきて、助手席に移った。それを見て僕は何だか安心した。


茶工場には、きちんと手入れされた機械がある。



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