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  • 岡村 友章

出稼ぎ始まる

今日から、滋賀県日野町で約1ヶ月の生活が始まった。


「6月くらいにですね、1ヶ月くらいこっちの仕事の手伝いを頼めませんか」と満田さんから電話があったときは、まだ春だった。満田さんは当店ではもうお馴染み。日野荒茶・日野焙じ茶・粉末緑茶の生産者だ。 家族に相談させてくださいと答えはしたものの、心の中ではすでに荷造りを思い描いた。まるで遠足前の子どもみたい。でも、これは仕事だ。それでもそんな気分になれる仕事って何て素晴らしいのだろうと思う。 仕事とそれ以外の境界が限りなく見えにくい。僕はそれでいい。いろいろ折り合いはつけながらだけど、心の向かおうとする方向になるべく素直に生きている。オンもオフもない。 さて今回の研修、というか出稼ぎは、「満田茶」のできるプロセスの一部を、そして生産者がどういう顔をして、何を考えながら働いているのかを間近で見続けることのできるまたとないチャンス。雇い入れていただけることになったので、金銭的にも安心できる。 妻に相談をした。彼女は「それなら行ってこい」と即答してくれた。このような機会がどれほど私の仕事に大切であるか、そしてリアルな言い方をすれば、生産への理解がいかに稼ぎに直結するかを理解してくれているからだ。


僕は、彼女がパートナーで居てくれることを誇りに思う。 … 月日の流れるのは早く、必要な荷物を事前に送り、そして出発の日、つまり今日を迎えた。幼稚園へ登園する娘を見送るまでに何度抱きしめたか分からない。彼女の誕生以来、こんなに離れるのは初めてなので寂しい。

「これを持っていっていいよ」と、今までに彼女の描いたものの中からお気に入りをいくつか選んでくれたので、鞄に忍ばせる。こちらの生活でのお守りだ。これは根っこのしっかりした茶の樹の絵。 息子はまだまだおしゃべりが始まった段階。しばらく僕が居なくなるということをたぶん分かっておらず、元気にいつもどおりはしゃぎ回っていた。娘には後ろ髪引かれるけれど、息子のあっけらかんとしたその有り様には、むしろ救われる思いがする。 滞在中は土日が休みなので周辺の気になる場所を訪ねてみたいこともあり、小回りのきく買ったばかりのスーパーカブで行ってみることにした。 同棲していたときからの習慣で、家を出るときに妻と小さいキスをする。言葉にならない信頼を交換する。

… 真新しいスーパーカブは「任せなさい!」と軽快に走る。京滋バイパス沿いにトトトと進み、たくさんの大型車両に抜かされ風圧に怯えつつ、あっという間に宇治市に入った。

茶どころとしての宇治が長年お茶を支えてきた。僕も日本茶にはまった当初、たくさんの宇治茶に接した。そして先人たちの営みが形作ったお茶の行く末のほんの小さな支流を、僕が担っている。そのことに感謝しつつ、どこにも停車せず宇治川沿いの山道を進む。

天ヶ瀬ダム。思わず停車し、無言で自然に抗っているダムを見やる。10年以上ぶりだった。ここは、実家で長く使っていたトヨタの「ルシーダ」という丸い車を買い換える日に、家族で最後のドライブをしたときの目的地だった。

その帰り道。地元のトヨタにルシーダを預けてさようならをする直前に、車内でMr.Childrenの楽曲を聴いた母親は泣いていた。あまりにも多くの家族の思い出を積んだ車だったからだ。楽しいことも、つらかったことも。

すべてのものに心が宿ると僕の親は信じていた。車にも心があった。

ルシーダばかりではなく、母親ももう居ない。居ない車、居ない人のことばかりが胸を埋め、旅の目的も忘れる。


僕のちょっとつらい気持ちを推し量って、カブの足取りが重くなった。50ccの原動機付自転車が山道の傾斜に苦戦しているだけだと言う人もあろう。それは違う。全てのものには心が宿るからだ。お母さん、そうだろう?



宇治田原を抜けた先に開けた景色は、朝宮の茶畑だ。


なんでもないような、とある道路脇のポケットのような停車スペースを通り過ぎた。ここはもう何年も前に、僕が車の中から北田耕平さんに電話をかけた場所だ。「もしもし、北田さんのことを本で読み、朝宮に来ました。いま実は近くにいます…」。その1本の電話が、茶農家との最初のコンタクトだった。


それから何年かして、僕は日野の茶農家のところでしばらく働くために朝宮を通り過ぎることになった。感慨が体を突き抜ける。


宇治、天ヶ瀬ダム、朝宮。過去を回想するようなドライブだ。


カブはそこから調子を取り戻し、軽快に走った。水口、そして日野町へと一気に山を駆け下りていく。カブにも心があるからだ。「もたもたすんな、目の前のことだけ見てろ!」

やがて日野の旧道の先に、満田製茶の看板が見えた。軒先には奥さんがいてしばらく話をする。やがて作業着の久樹さんが出てきた。「なんか痩せはった?」と聞かれたが、どちらかというと体重は少し増えている。


あらかじめ送っておいた荷物や、滞在中に貸してもらう炊飯器と掃除機を久樹さんのバンに積み込み、厄介になるアパートへ案内してもらった。

無機質な屋内と対照的な散らかり具合の我が家を思い出し、少し悲しくなる。そこで感傷を蹴散らかす、mumokutekiからの電話が鳴った。へたれの僕には最高のタイミングだ。Kさん有難う。

自炊するので近くの平和堂に買い出しに行く。地場野菜がいくつか並んでいるのを手に取り、最低限の調味料、肉、魚、卵を買った。馴染みのないスーパーは楽しい。


書店もあったので覗いたが、これと思うものを今日は見つけられなかった。買っても、疲れからきっと今日は読めないだろう。

シャワーを浴び、夕食を作って食べた。味噌汁もおかずも、ばかみたいな量をつくってしまった。米もばかみたいにたくさん炊いてしまった。

洗濯物を干した。4人分ないのでとてつもなく少なく感じる。子どもの小さいパンツを干すときに感じるチクリとした感傷もやってこない。

テレビがあるのでしばらく点けたが、どうにもつまらなくて消した。そしてこの記事を書いている。



僕は2008年にカナダのバンクーバーで留学生活を送っていた。行きたいと言ったのは自分なのに、フィリピンから来たというホストファミリーの家で一眠りして夕方に目覚めたとき、「なんでこんなところに来てしまったのだろう」と強い後悔を感じた。家族が恋しかった。当時すでに付き合っていた今の妻が恋しかった。

今夜眠りこけて明日の朝に目覚めたとき、またあのときのような気持ちが胸にやってこないか不安になる。満田さんに頼まれ、願ってもないことと歓喜してやってきたのは自分なのに。それにここはカナダではなく、大阪なんかすぐ近くの滋賀県だ。

自分はそういう人間なのだ。そこに居ない愛する人のことばかり考えてしまう。でもそんな気持ちは、日が登れば忙しさに霧散するに違いない。

...


お茶を売ったり、出稼ぎしたり、いったい君は何を目指しているのだという人もあろう。そんなこと知らないよ、というのが僕の答えだ。

大河に浮かんだ小さい葉っぱみたいに、どんぶらこと運ばれていくのを楽しんでいるんだ。

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