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  • 岡村 友章

満田製茶 16日目 7月10日 / 母

きのうはうまく文章にならなくて記事をお休みした。


今日は16日目の仕事だった。まずは煎茶の再製加工の仕上げを続ける。細かい茶葉を唐箕にかけて粉を抜く。さらに色彩選別機にかけてカリガネ(茎のお茶)を分別する。などなど。

それらを途中で切り上げて、冷蔵倉庫での作業をすることになった。お客さんから注文があったからだ。トラックとライトバンに分乗して倉庫へ向かい、たくさんのお茶を積む。それをお客さんのところへ運んだ。

2週間そこそこで筋力がつくわけでもないが、ちょっとだけ慣れてきた。どれくらい疲れる作業なのかという感覚が分かりはじめた。


ここまで記事を何度か読んでくださった方はお気づきかもしれないが、華々しい作業というものはひとつとしてない。茶摘みもしていない。なぜなら満田製茶は無農薬であるために、温暖な時期の2番茶の芽は虫たちに献上することになるからだ。

汗とか茶の粉とか製茶機械の轟音にまみれた作業の連続だ。


そのことを「感謝して」と無理に言うつもりはない。ただ強調させてほしいのは、いかなる茶の文化的な営みも、日々の何気ない1杯も、いけてる小売りのプロモーションも、インスタ映えも、日々の地味な労働を礎にしていることだ。ほんの少しでもいいから心に留めておいてもらえたら僕は嬉しい。


「案外地味やろ。こんなもんやねん。僕らみたいにてきぱきやれんでもええから、岡村くんにはこういう世界を知っておいてほしいねん。分かってくれたやろう」と久樹さんは言う。

彼は、自分たちのしんどさを売り文句にしてほしいと思っているわけではない。そういうことは望んでいない。でも、知っておいてほしいと望んでいる。


「無農薬とか、有機とか、やれるもんならやってみいと思うな。昔からずっとやってきたけど、うち、よう考えたら最先端やで…」と、時々彼は絞り出すように言葉をもらす。


無農薬有機(しかも殆どが在来種)の農家であり、問屋業と製造業も営む。礎は開業したおじいさんが作ったそうだ。多様な業務を一挙に抱え込むのは想像を超える大変さがつきまとうのかもしれないが、ある意味でリスク分散ともいえるし、何よりお茶のあらゆる側面を見ることが出来るという強さがある。

だから久樹さんの言葉は常に経験と勘で裏打ちされている。テキストの受け売りではない。そういう人の姿を、1ヶ月めいっぱい使って、見てほしいと言ってくれているのだ。


終業後、加工場を丁寧に掃除する。あす土曜日、僕は満田製茶で取材を受けることになっているからだ。インタビュアーは、島本町から来てくれる。久樹さんも掃除に熱が入る。そして、写してはならないイロイロについて指示をもらう。

「じゃあ明日また10時に来ますね。ありがとうございました」

「おおきに。ありがとう」



まだ時刻は夕方5時過ぎだ。真っ直ぐ家に帰るのが勿体なく感じて、図書館へ寄ることにした。しかしなんとなく思い立ち、図書館の向こうにある森の方へバイクを走らせてみることにした。


すると、正明寺という禅寺があった。聖徳太子が創建したと伝えられるものの焼失し、江戸期に再建。本堂は京都御所の一部を移築したものだという。


虫取りの子どもと、おじいさんが参道の向こうに見えた。虫取り網とカゴ。見かける頻度がちょっと少なくなったかもしれない。

禅寺であるという案内の看板を見ると、何となく心がざわついた。昨秋に台湾に居たとき、禅と老茶を教える老師の前で、僕は不意に泣き崩れてしまった経験があるからだ。



入り口から100メートルほど真っ直ぐに続く参道を抜け、山門をくぐると誰もいない。しかし丁寧に掃き清められた空気にはある種独特の緊張感と、しかし僕のように不意にさすらってくる者を拒まない包容力を感じる。

ようやく抱えることができるほどの大きさの鉢から蓮の葉が伸びて、溜まっている玉のような雨露は赤子の頬っぺたを思わせる。

本堂の扉は閉められていたので重要文化財であるというご本尊の像にまみえることはできなかったが、手を合わせてざわつく気持ちの中を覗いてみることにした。



きっとそうなるだろうと、わかっていた。


4年前に亡くした母親の姿で意識はいっぱいになった。

這いつくばってトイレを隅々まで掃き清めているところ。台所で漢方薬を煮出すところ。中学生のころ口ごたえして頭をパチンと打たれたときのこと。玄関の外で鉢に水やりをしているところ。ベランダで洗濯物を干すところ。辞職したいと申し出た僕を制止しようとした焦り顔。突然の病の宣告を受けてからの痩せ細った顔。「好きなことを、やってみたら…」と突然言った、死の2日前のこと。

それから、もとのとおりの朗らかな顔で僕を見ている、今の母の顔だ。

脇目もふらずに涙がやっぱり出てきてしまった。

お母さん、あなたにもう一度会いたい。どこを探せばあなたにまた会えるのか。宇宙の歴史のなかで、もう僕とあなたが会えることは、もうないのか。互いに違う姿でもいいから、虫でも魚でもいいから、あなたをあなたと認識できるその日が来ることは、もうないのか。いつまでこんなに寂しい思いをすればいいのか。


母の居なくなったその日から、もう何百回、何千回と繰り返し問うてはただ宙に消えていく想いが、また同じように湧き出てくるばかりだった。


母がそれに答えたことはない。ただ、こちらに微笑みかけているばかりだ。

久樹さんは言う。

「亡くなった人な、いつも見てはるで。なんかわかるねん」


そして僕の娘も、とっくにそのことを知っているようだ。「お父さんな、バーバに会いたいねん。バーバ、どこに行ってしもたんやろうな」と僕が言うと、いつも僕の胸をバンバンと叩いてこう返す。


「ここにいるでしょ」

お茶にはなんの関係もなさそうなこういうことが、僕の日々の力にもなっている。

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