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  • 岡村 友章

日野 3日目 6月24日

日野町での仕事は3日目になった。


炊き過ぎたご飯と作り過ぎた味噌汁の残りを温めたもの、生野菜、ぬか漬け、キウイを朝に食べた。昨夜買っておいたバナナを思い出してそれも頬張る。緑茶を3煎。いつもの倍ぐらいお腹に入れている。

8時前に家を出て、5分ほどで満田製茶に到着する。通勤ルートにも慣れた。道ゆく車はみな市街の方へ向かうが、僕だけ町の奥へと進む。地元の子どもたちが登校している。


乾いた空気が気持ちいい。今日は何をするのだろう。


作業はまず昨日の続きから。草とり。かがみ込んで、茶の樹の根本あたりから出ているのを引き抜く。半分くらいは芋の蔓だから、ときどき根の小さい芋ごと出てくる。


抜いた草をまとめて袋に入れ、満田家の裏にある藪に捨てる。黙々とした作業だ。


茶の畝の中はこんなふうになっている。ここに手を突っ込んで蔓を引く。


除草剤を使うのをやめてからおよそ30年、満田家はこの作業を続けてきたのだ。人知れず。「ヤブガラシが出現したのは近年になってからだけれど、芋の蔓は昔からずっとある」とお父さんが言う。


休憩どき、パートのKさんから「どうしてお茶屋になろうと思ったんですか?」と尋ねられた。僕は祖父の話をした。


久樹さんは「公務員やっとけばよかったのに。僕やったらそのまま公務員するわ」と訪ねるたびに僕に放つ言葉を今日も言った。彼は本当にそう思っている。でも、辞めるのを引き止めた茶の素人が、本当に辞めて自営業者になった。それならきちんと勉強しないといけないと思い、栽培・荒茶製造・仕上げ作業・問屋業をすべて行っている自らの職場に、こうして呼んでくれている。


昼食まで草とりは続いた。


昼、昨日より大きな茶碗でご飯を出してくれた。きちんと働いて、ただの穀潰しにならないようにしなくちゃ。食後は体力回復のために昼寝した。




昼からは、昨日久樹さんが仕入れてきた大量の番茶を加工場に積み上げる。ひとつ15kgある袋を4段くらいに積むのだが、積み方にもいろいろある。スーパーで青果担当のバイトをしていたとき、朝早くにトラックで運び込まれる野菜と果物をうず高く積んで搬入したことを思い出した。一度キュウリをひっくり返して怒られた。もう10年以上前のこと。

それからフォークリフトを使い、別のお茶の山を倉庫へ運ぶことになった。「やってみる?」と言われたので、間髪入れず「やります」と答えた。初めて運転するフォークリフトは、僕にはさながら、農業テーマパークのアトラクションのようだ。



運転中、近くの公道を警察が通った。何も悪いことをしていないのに、あまりにも拙いフォークリフトの運転をするので、意味もなくびくびくした。


どうにかこうにか教官の指示のもと、「フォークリフト初任研修」は及第点をもらえたようだ。



次の作業は、お茶の火入れだ。久樹さんが入札で買ってきた荒茶を選別したものを、ガス火で熱した空気により乾燥を行い、保存性を高める。

この作業ひとつとっても、安全に工程をこなすための細かい手順がたくさんある。作業前の清掃、ガス栓の開閉、火入れ機各部の電源オン(7つもある!)など。そのうちいくつかは、忘れると火災を招く危険性もあるから気が抜けない。当たり前かもしれないけれど、それらひとつひとつをちゃきちゃき進める農家の姿は格好いい。

久樹さんは、単に職場見学をさせてくれているのではなくて、いつか本当にこの作業をさせるつもりで教えてくれているのだ。

合間に、久樹さんはお茶をみる目の話をした。「岡村くんが好んでいるお茶は、一般には特殊なもの。もっと一般的なものをたくさん見て、広い視点を身につけなあかん。そうすることで、自分が求めているものをはっきりと他と区別できるようになるんやから」

僕は尋ねた。「入札で仕入れるお茶をみるとき、個人的な嗜好はいったん脇においてるんですか」

彼はこんな風に答えた。「プロやから。でも、個人的にどことなく惹かれるものがときどきあるねんな。それは理屈でうまく言われへん。」


「自園のお茶はどう思いますか」


「家のお茶をずっと飲み続けとったら、正直、他のはなかなか飲まれんね。すっきりしてる。嫌みがないっちゅうか。なんでそういう味になるんやろかと思うけど。何が他と違うんやろうか。わからん」


「なんででしょうね。そういえば僕のお客さんのなかに、『緑茶を飲まへんウチの子どもが、これやったら飲む』といって満田さんのお茶、買ってくれる人がいますよ。満田さんとこのお子さん2人は、家のお茶についてどう言わはるんですか」


「淹れるときにいちいち『ウチの茶』とか言うてへん。でもたまに違うのを淹れて出すと、『これ何か違うけど』って言いよる。やっぱり、子どもっていうのは、分かるねんな」



再び午後の休憩になった。お父さんも一緒だ。


聞けば満田家の周辺では、3世代同じ家で暮らしているのはここが唯一なのだという。信じられへん、と久樹さん。お父さんが子どものころ、この家には9人が賑やかに暮らしたそうだ。「今では6人になってちょっと寂しいけど」とお父さん。都会の人間からしたら、3世代6人ってかなり多いですよと僕は言った。


「何で離れて暮らすんやろ。けんど(でも)、遠慮は多いよ。けんかやってせなあかんし」と言う久樹さんに、お父さんは「その遠慮というのが、ええねんやんか」と言った。

僕もそのような暮らしができないか父と話をしたことがある。しかし父にそのような気はないようだと僕が言うと、久樹さんは、「岡村くんのお父さんやもん。頑固なんやろ。岡村くん見てたらわかるわ」と言って笑った。

「岡村くん、なんでお父さんの電気工事を継がへんの」

「いや、僕は小さいうちから『継ぐな』と言われて育ったんです」

「えっ。そうなん。お父さん、偉いわ…」

「結局サラリーマンを経て、同じように自営業になりましたけど」


「…」


そこでお父さんも口を挟んだ。

「都会では勤めに出て、ストレスの多い人がたくさんいはるでしょう。以前、知人の付き添いで神経系の診療に行ったことがある。待ち合いで周りを見ていると、岡村さんより若いくらいの人たちが次から次へと診察室に吸い込まれてました。僕の若いころには、そんなことは無かったように思うけど」


久樹さんも言った。「僕のかかりつけの医者も言うてはる。『満田さん、世の中どうかしてるで』て」


お父さんは、「うちらはストレスてあんまり無いかな」と言うと、久樹さんは「ストレスしかないけど」と笑っている。


笑ってはいるが、それはたぶん本心だ。いいお茶をつくって、そして食っていくのは、それはそれは大変なことなのだ。



帰りがけに久樹さんは、「問屋もやって、自園があり製造もするなんて、そうそうない。うちに来るなら何でもやらなあかん。そのぶん勉強してもらえると思いますわ」と言った。


「茶は、ストレスしかない」と言ったのと同じ人物がそのように言うとき、確かな経験と技術と勘に裏打ちされている自信がちらりと垣間見える。


ちょっとだけ片方の口角が上がるのは、自信を見せるときの彼の癖だ。



そういうときの彼は、手の届かない高みにいるように見えるけれど、その手の内を何も隠さずに教えようとしてくれてもいる。


「素直な気持ちで何でも受け止めなあかんねん」と彼は言う。ここでの学びにおいて、僕がこれまでに頭に入れてきたことはいったん脇に置くべくだと今日は思った。


ふと彼の有り様が、数奇なことから出会うことになった、老茶を人知れず扱う台湾の老師に重なった。老師は鶯歌の店でこう言った。


「ここに来るのは、心に余白のある人。それがなければ人は自分の知識をひけらかすばかりで、何かを学びとる余裕が一切なく、成長できないのです」


やっぱり、そういうことなのだ。


夕食の素麺をツルツル食べながら思った。


今日も眠たい。

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