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  • 岡村 友章

2日目

いよいよ今日から満田久樹さんのところで仕事が始まった。


6時に目を覚ましてゆっくり朝食をとり、8時の始業にあわせてアパートから満田さんのところへ向かう。文句なしの晴天。通勤ルートは日野の昔ながらの商店街で、旧家がたくさん立ち並ぶ。

よろしくお願いします、と久樹さん。「じゃあ早速やけんど」と手袋と大きな紙袋を手渡され、家の前にある茶畑で草引きにとりかかる。


※改めて紹介すると、ここ満田製茶は久樹さんの祖父が開業し、その途中で無農薬に転換。およそ30年が経過している。また自園自製のお茶だけではなく、祖父の代まで続けていた陶器屋の稼業のノウハウを糧に、茶問屋としての業務も行っている。

除草剤を使わないので草がよく生える。やっかいなのは笹と蔓植物だ。笹は簡単に引き抜けない。蔓は茶の樹にからみつきながら伸びているのでとりづらい。


とりわけ満田製茶をここ数年悩ませているのは、ヤブガラシという名前も恐ろしげな蔓植物だ。これが茶の根本から伸び、畝の上に這い回っている。

まず表面の蔓をばりばりと剥がし、次にかがみ込んで地際から引き抜く。ヤブガラシは地下茎が地中に広がっているので引き抜くだけでは根絶できないが、範囲が広いのでひとつひとつ処理することはできない。地表面にあるものを取り続ける。


かがむと、背中に後ろの畝の枝が刺さる。

それを淡々とやり続ける。


ところで日野は町長選挙が近いため、候補者が街宣車で走っていて、中身のないこと(ごめんなさい)を大きな音で放送している。端的に言ってうるさいが、ばりばりと蔓を剥ぐだけの作業にとって気晴らしになる。


途中、久樹さんが「これ」といって冷えたお茶のペットボトルを持ってきてくれた。そのへんに売っているやつだ。すでに滝のように汗をかいて水分を失っていた僕は、どんな高価なお茶よりもそのペットボトルの茶がうまいと思った。

風が吹いて、通気性のいい長袖が吸った汗を冷やす。



10時に休憩となった。事務所で菓子とお茶を飲む。仕上げ加工の一部を省いた荒茶をやかんで煎じて井戸水で冷やしたものだ。夏に満田製茶を訪ねる人はこの1杯にありつけるかもしれない。僕はこのお茶に出会って、「日野荒茶」を販売させていただくようになった。いまでは看板商品だ。

久樹さんは入札のため出かけており、ご両親とパートのNさんと休憩する。お母さんは物腰のはっきりした女性で、お父さんは眼差しの深い老練な語り口の人物だ。ご家族と話ができるのは何ともうれしい。そこで交わされる話の多くは販売の際の売り文句のもとになるものではなく、あくまでも何でもない会話だ。僕と彼らの間柄のことだ。

お父さんが、ここの在来種のはじまりについて話してくれた。


「父親が滋賀の長浜や京都の宇治の種苗屋から種を仕入れてきてね。牛に畑を耕させて、そのあとからついて種を播いとった。僕が小学生のときやった。当時は在来種が当たり前やったよ。戦争のあと食料難ということで収穫量が多いやぶきた種が奨励されたけんど、僕は在来の方が好きやね。やぶきたもおいしいけども…」。


お父さんも久樹さんと同じくして在来が好きなのだ。


しかしお父さんは久樹さんに茶業の主導権を譲るときに「やぶきたに植え替えようか」と提案していたことを、飯田辰彦さんのリポートでかつて読んだ。様々な理由があって在来種は商業的に不利であることをお父さんはわかっていたからだ。(在来種の流通が現在では非常に少ないことがそれを物語っている)

久樹さんはその提案を拒否した。そして今もおじいさんが育てた在来種は健在なのだ。


お父さんは、ほっと安心するとともに、前途を心配したかもしれない。親子の心の機微を感じるような話だ。


休憩を終えると、お母さんは僕の持っていたペットボトルを指して「それ美味しくないでしょ。捨てて、やかんのお茶を移してあげる」と言ってくれた。


12時に仕出の弁当と味噌汁をいただき、少しだけあたりを散歩してからソファでうとうとした。事務所に入ってくる風が例えようもなく気持ちよく、家族はどうしているだろうと考えながらまどろんだ。


昼、草引きを続ける。どんどんと気温が上がり、ゴム手袋のなかに汗がたまっているのがわかった。脱ぐと汗がどばっと落ち、自分でもびっくりするくらいだった。生まれたばかりの赤ちゃんみたいに手がふやけている。


午後3時ごろ、日照のピークだ。こうなると何も考えることが無くなり、無言の草引きマシーンになった。草にしてみれば僕はターミネイターだった。

あれやこれやといつも小難しいことを考えたりするのは、結局のところ余裕があるからだ。こうして農作業をしていると、理屈などどうでもよくなってくる。そしてそのような精神状態に置かれることを僕は有り難いと思った。汗と手袋と草だけの世界に没入する。


再び休憩となり、ミニサイズのスーパーカップが配られた。無茶な動き方をすればたちまち熱中症になりそうな僕にとって、最早それはカロリーを補給できる食用保冷剤だった。


それから僕は久樹さんの運転するトラックに同乗して、茶の仕入れにご一緒することになった。とある製茶場まで運転すること1時間くらい。車中、久樹さんとあれやこれやと話をする。

彼は理屈も大切にする人だが、素直な感覚をもっと大事にする人だ。「理屈だけではあかんねん。素直な気持ちで向き合って、お茶を見られるようにならなあかんよ」と彼は言う。


到着すると、そこには数百キロの番茶が用意してあり、それを2人で積み込んだ4トントラックは満載になった。急に使った肩が悲鳴を上げた。



帰着したのは6時半。カブに乗ってアパートに帰り、塩分の多い食事を摂った。味噌汁、塩鯖、糠漬け。塩分控えめがもてはやされる時代だけれども、いまはそのときではないと身体が言っている。

食後、爪切りがないので平和堂に買いに行く。それから98円のバナナを朝食の足しにするために買った。ほとんど往来のない通りをトトトと走り、電池が切れかけの身体に鞭打って、この記事を書いている。


寝ろ、寝ろ、寝ろ、明日もあるから

とまぶたが言う。


ちょっと待って、この生活を記録しておきたいから。そしてお客さんたちにこの空気の1%でもいいから感じてほしいから。


どこまで伝わるかはわからない。お茶の好きな男が汗を書くだけの話に誰が共感するだろうか?でもそれをやめてはいけない。言い続けるのだ。言葉の先は空虚か、それとも誰かの聞き耳か。


窓の外ではカエルが命を尽くしての鳴き声をあげている。彼らには今しかないからだ。

それは僕とて同じだと思うと、カエルが同志のような気持ちになってきた。

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