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  • 岡村 友章

満田製茶 中休み / ほしがきれいになりますように

木曜日昼に仕事を切り上げて、いったん地元である大阪の島本町へ戻った。


しかし改札を出て荷物を整理していると、顔の青ざめる事態に気がつく。日野のアパートの鍵がない。

どこをどう探してもない。青を通り越して白い顔になり、近江鉄道バス、近江鉄道、夕食を食べたラーメン屋、JR、滋賀県警とあらゆるところに問い合わせるも努力虚しく、ない。

家に帰着したのは午後9時。万が一にもアパートに差しっぱなしということがあればいけないと思い、そして満田さんに「見に行ってほしい」とも言えず、(アパートからバス停への歩いた路上も確認したかった)僕は車に乗って夕方に出たばかりの日野へ舞い戻ることになった。なんということだ。本当に、なんということだ。

「シャワーだけ浴びていくわ…」と言い、呆れ返る妻と、状況の飲み込めない子どもたちを尻目にする。だらしのない父親であることをとくと見せつけ、車に乗る。こういうところのツメの甘さがいつまで経っても直らない。


京滋バイパスと名神高速道路を通って、蒲生スマートICで降りて日野のアパートへ向かった。やけっぱちになり、中村佳穂さんのCDを大きな音量で流したが、このときばかりは彼女の歌声も気持ちの焦りを止めることができなかった。

鍵は無かった。アパートからバス停への道にも落ちていなかった。念のため日野駅へも行ってみると、終電を送り出した駅員さんが駅舎を出て一服している。彼は終業後にもかかわらず、丁寧に探して社内での問い合わせをしてくれたが、だめだった。


「申し訳ありません」といってペコペコされるたびに、むしろこちらがズキズキとしてくる。


塩むすびが人間になったかのような純朴なたたずまいの駅員さん。一瞬だけ癒された。昭和のハートフルな人間ドラマから平成を飛び越してきたような、信じられないくらいの塩むすび感だった。

交通費がもったいなく、帰りはトボトボと下道を行くことにした。眠気がしんぼうたまらなくなり、信楽のコンビニで仮眠をとる。午前1時。こんな時間に、おっちゃん2人が何やら大きな声で話している。コーヒーで眠気が飛ぶどころか胸がむかむかした。

最初に日野に来たときカブで通った道を帰る。深夜だけに車はほとんどない。信楽の陶器屋の店頭にあるばかでかい狸の置物や、朝宮の闇に沈む茶畑が、恐ろしかった。天ヶ瀬ダムは青いLEDライトで照らされていた。

午前2時すぎ。家に帰るとそのままふらふらと布団に潜り込む。妻の首筋に顔を押しつけて心の安息を求めたり、子どもの寝顔をしげしげと眺める余裕もなく、眠りに落ちた。なんという一日だと思い返す暇もなかった。とにかく疲れた。



翌日、気を取り直して娘の幼稚園の参観に行く。コロナのあおりで、保護者は1名だけ参加を許された。参加者のうち父親は僕ともう1人だけ。どうしてそんなに少ないのだろうと残念な気持ちになる。

七夕の短冊づくりをする。願いごとを書いてくださいと言われ、娘に聞いた。

「どうする?お願いごとでもいいし、ありがとうと思っていることでもいいんやで」



娘の答えはこうだった。

「ほしがきれいになりますように」


雷に打たれるような思いがする。感動に打ち震えている間に娘はどうにか平仮名でそれを短冊に書き、続けて星と月、そして太陽をも短冊に描き込んだ。

「なんで夜空にお日様があるの?」

「あのねえ、いつもわたしのこと見てくれてるから描いた」

2度目の落雷が体を貫き、僕は「君には教えることなど何もない」と思った。ただ、衣食住の安心だけを保証してやるだけだ。


やはり帰ってきてよかった。


交通機関各所への問い合わせを再びするも、だめだ。鍵がないことを伝えるために満田さんに連絡をするとお母さんが出た。詫びに詫びを重ねた。スペアキーを用意してもらうことになった。


意気消沈しつつ、家で借りている山手の畑の草刈りをする。体を動かしているほうが楽だった。

そのまま金曜と土曜を家族と過ごし、ゆっくりとした時間を味わう。ところが、ちょっと休めばたちどころに疲労がじわじわと体の内から出てきてたまらなかった。よほど疲れていたのだと思う。気がつかないうちに精神の疲労を溜めていたのだと気づく。

少し畳の上に腰掛けると、重力に勝てない。お尻から根っこが生え、畳の謎の引力に吸い寄せられて何度も居眠りをした。

それでも、再び日野に行くのはやはり楽しみだった。


そして今日日曜の午後、家で昼食を摂ってから日野へ出発。妻が、畑で貰ったというゴーヤを使ったチャンプルーを持たせてくれた。妻のことはいつかきちんと書こうと思うけれど、この人以上に僕のことを大目にみてくれる人はいないだろうと思う。

近江八幡駅で降り、鍵があたりに落ちていないか、先日通ったところを隈なく探す。やはりないので、その場で滋賀県警に紛失の届け出を出した。望みは薄いがやれることをやっておく。

近江鉄道に乗り換えて、八日市を経由して日野駅へ降り立った。もう見知らぬ土地ではなく、ぼくの故郷のひとつだ。


ところで、降りるとき、車内アナウンスにどこか聞き覚えがあった。ふと運転席を見遣りながら降りると、なんとそれは塩むすび氏ではないか!同氏は運転士だったのだ。

あのときの鍵なくし男が横を通っているとも知らず、彼は今日も働いていた。なんだかとても嬉しく、僕はうきうきした気分になった。

氏の操るガタガタの列車は、次の駅へと進んでいった。

さてスペアキーを貰うために、アパートではなく満田製茶へ行かなければならない。このあたりはバスの本数が少ないので、駅にあった観光案内所を物色する。すると、バスの時刻や停留所のことを詳しく案内してくれるおっちゃんがいた。ガイドのチョッキを着ているが、その下はヨレヨレの普段着なのが好きだ。


何となくおじさんと話を続ける。

「ぼくのおばあちゃんが、日野の人なんですよ」

「へえ、そうですか」

「川原っていう集落があるでしょ。そこの」

「桜のとこやね」

「はい。◯島っていう家なんですけどね」

「え、◯島??」

「はい。昔は大所帯でしたけど、今は◯◯さんと◯◯さんのご夫妻がいるだけです」

「あんた、◯島って、さっちゃんとこか??」

「えっ、知ってはんのですか???」

「同級生や。さっちゃん、前の同級会にも来てくれたんや」

「まじか…まじか…あの、おっちゃんのお名前は??」

するとおっちゃんは名刺を渡してくれた。ときどき観光協会に来ている地元のボランティアガイドだった。

「あんた、さっちゃんの息子か?」

「ちゃいます。孫ですよ」

「そうかいな…さっちゃんな、若いときべっぴんやったんやで」

「昔の写真見たら、確かにかわいい」


こんな出会いがあるものなのだ。鍵を無くしたおかげだ。


おっちゃん、記念に握手して!と手を出すと、おっちゃん快く応じて、たいへん力強く握り返してくれた。きっとこの人は農業をしてきたのだろうと思う手だった。


「不幸中の幸いとよく言うが、これは不幸中の幸いが不幸よりも大きくなる極めてまれなケースや。これは幸いなことや…」としみじみ感じ入りつつ満田家へ向かった。


ジーンズ姿の久樹さん、「岡村くんでもこんなことあるんやな」といってスペアを渡してくれた。「いえ、こんなことばっかりです。僕は。妻がようく知ってます」

久樹さんはアパートまで送ってくれた。そうして別れ、ぼくはすぐさま起こったことを説明するために祖母に電話をかけた。

「もしもし。どや日野は。しんどいやろ」祖母は言った。僕が日野にいることはあらかじめ話していたのだ。


「しんどいけど楽しいよ。なあおばあちゃん、◯◯さんっておっちゃん知ってるか」

「そりゃ知ってるよ」

「その人に会うてん。日野駅で」

そしていきさつを話すと、祖母はぼくの思ったほど驚きもないといった様子で「ふうん…」と話をした。だがよく聞いてみれば、僕とおっちゃんには血の繋がりこそないものの、遠戚であることがわかった。狭い田舎だからそんなことは珍しくもないのだろうか。


「おっちゃんが『若いときべっぴんやったと言うてたで』」と言ってみれば、祖母は「へへへ…そんな…」と言い、なんとなく赤ら顔になっているのが電話越しにわかった。おいおい、あんたら若いときになんかあったんか?と一瞬思ったが、何も聞かなかった。


こうして日野の夕焼けも暮れる。鍵をなくしたおかげで、胸のぽっとするような出会いがあった。


妻のゴーヤチャンプルーを食べた。ものすごく寂しい気持ちがした。


明日から、日野での生活は後半となる。2週間のうちに、どこまで多くを吸収できるだろうか。

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