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  • 岡村 友章

熊本滞在 2/3 ぜったいに、せん。

この記事は、前回の「熊本滞在 1/3 よか茶を作りたかったら茶を摘むな」の続きです。


熊本に到着して2日目の12月16日。今季いちばんの寒気がやってきて、茶畑はうっすら雪化粧となりました。


この日は、旅の間、車を出して道中をともにしてくださった岩永智子さんや、お母様である周子(かねこ)さんのお話を伺ったり、畑での施肥作業をご一緒したりしました。


今日の記事では、改めて岩永家のお茶づくり、そして智子さんの現在にスポットをあててみましょう。


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ここは熊本県上益城郡山都町の馬見原(まみはら)という地域です。山都町は、蘇陽町・清和村・矢部町が平成になってから合併して出来た新しい町。馬見原は山深い場所にありながら古くから宿場町として栄え、「一旗上げるなら馬見原へ」と言われた時代もあったとか。現在でも人影は多くないながらも立派な商店街は健在であり、かつて何軒もの造り酒屋が営業していたという名残も見ることができます。


岩永家があるのは、この馬見原の目抜き通りの中。その裏手には宮崎県との県境でもある五ヶ瀬川が流れ、これに沿うようにして在来種を含む複数品種の育成を行っています。


茶業を商業的に発展させたのは、智子さんの父である博さん(故人)。馬見原は博さんのおばあさんの里です。博さんは、熊本市内でラジオ屋を営んだお父さんが、戦時の疎開先として選んだこの馬見原で、人生の多くを過ごしました。


博さんは大学で畜産を学んだそうですが、ここ馬見原の家にはもともとお茶が植えられていたこともあり、徐々にこれを拡大して稼業となしたのです。お茶づくりはもともと釜炒り製。(この地域は国内の釜炒り茶のひとつのメッカであったと言えるでしょう)


はじめは農協に卸していたお茶も、2~3年してから徐々に小売販売へ。今でも岩永家を訪ねれば、全国のファンに向けた荷物が玄関先に置いてあるのを見ることができます。着実にファンを増やした岩永製茶園のお茶は、昭和46年に農林水産大臣賞を受賞するほどに品質をどんどんと上げました。


周子さんは、生産性が良く、見た目も揃って綺麗な蒸し製煎茶への転換を博さんに提案したことがあるといいます。前回の記事でも、この地域の生産者たちが徐々に煎茶づくりへと転換していく様子の一端をご紹介しました。


しかし博さんは、「絶対に、せん」といって頑なに釜炒り製をやめようとしなかったのです。彼が釜炒りに対して抱いていた思いとは、どのようなものなのでしょうか。故人に直接思いを尋ねることは叶わないまでも、博さんと同世代である生産者・船本繁男さんが同県の八代市泉町に健在。彼は煎茶を生産していたのに、途中から地域にもともとあった釜炒り茶にわざわざ転向し、現在も船本家は釜炒り茶しか作っていません。


彼らにとって、煎茶と比較した釜炒り茶の品質や生産性は問題なのではなく、自らの暮らす土地と紐付けられたアイデンティティそのものだったのではないでしょうか。前回の記事で登場した小崎孝一さんが工場長を務める菅尾製茶工場でも、製造ラインの半分は煎茶に転換しつつも、釜炒りを現在でもやめていません。彼らが家で飲んでいるお茶は、やはり釜炒り茶でした。


このように、土地と自らの切っても切れない関係性を強く意識し、そのお茶を守ろうとする生産者は各地に存在します。もちろん、釜炒り茶に限ったことではなく、たとえば滋賀県東近江市君ヶ畑の小椋武さんは「祖父から預かったこの畑と土地の名を次に託すのが、自分の役目です」と語ります。



さて現在、博さん亡きあと故郷に戻って畑の管理を担う智子さん。お母様はすでに高齢なので、日々の畑の管理は智子さんが担当し、繁忙期になれば地域の人々の協力を得ながらなんとか継続しておられます。幼少から博さんの作業風景を間近で見て、ときに手伝うこともありました。智子さんがお茶を語る際には必ずといっていいほどに博さんの言葉や面影が登場し、その存在が色濃く映された智子さんのお茶に対する見方を見過ごす人はないでしょう。


その様子を周子さんは喜ばしく見ているようです。博さんが亡くなり、もう茶業はおしまいだろうと思っていたところに智子さんが帰郷。周子さんはコタツで温もりながら、こう語ってくれました。


「もともとお茶が好きでここに嫁いできた訳ではなかったんですけれど、段々とお茶が可愛くなってきました。この歳になって、一番の楽しみは茶畑に行くことで、可愛がればお茶は応えてくれます。藁や枯れ草を敷いたりして…そのへんを散歩する暇があったら、畑の草1本を取りにいきたいですよ。智子も、そういう風になってきたんでしょうか。智子が一所懸命お茶をするので、彼女がし易いようにしてあげたいと思います。紅茶づくりも応援しています」


そう、智子さんはご自身が携わるようになってから紅茶づくりもはじめ、近年は毎年連続して国産紅茶のコンテストで入賞を繰り返している実力派。当店でもおなじみです。


こちらが、岩永製茶園特製の「川鶴釜炒り茶」です。川鶴は、ご自宅の裏の古い字名だそうで、岩永家のお茶のなかでも、若く重たい芽だけを選別した特上のロットにだけ与えられてきました。


当店では、岩永家に古くから伝わっている在来種だけを原料にした、特別な「在来川鶴」を作っていただいています。在来種でつくってこそ、岩永家の釜炒り茶はいっそう魅力を増すように思うからです。


製造は、小崎孝一さんも働く菅尾製茶工場で荒茶までをつくり、仕上げ加工は智子さんの自宅の工場で。在来種の深みはあるけれど控えめな出で立ちが、釜炒りならではの凛とした「釜香」を何煎も楽しませてくれるうえに飲み疲れがまったくありません。ともすると行き過ぎた香ばしさをつけて原料の素直さを曲げてしまう釜炒り工程ですが、ここでは智子さんや、地域の熟練の技術者たちの腕前がぞんぶんに発揮されています。


在来のお茶をおいしいという私に、智子さんはいつか「お父さんに会ってもらいたかった」とこぼしました。確かに博さんはそこにはいなくても、馬見原の工場を訪ねれば、どこを見渡しても博さんの残した足跡を見つけることができます。何よりも、智子さんという人を訪ね、その人となりとお茶への姿勢を見つめる人は、目には見えないけれどもそこに親子の重なりがしっかりとあることを、心を通して発見することになるでしょう。


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次回は今回の熊本滞在の最後の記事。芦北町の梶原敏弘さんを訪った記録をお伝えします。


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岩永さんのお茶はオンラインストアからもお買い求めいただけます


川鶴釜炒茶 2020

 在来種 無農薬 40g入

寺上紅茶 2020

 在来種 無農薬 手摘み 20g入

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