検索
  • 岡村 友章

金魚


初夏ごろのオープンを目標として計画をすすめている実店舗は、大阪府島本町の駅前である水無瀬(みなせ)の商店街のなかにあります。


ここは、ほぼ半世紀の営業を続けた純喫茶「槇珈琲店」の跡地です。最後まで分煙をせず、愛煙家にとっては貴重な居場所であったに違いありません。正直なところ煙草の匂いに気分を悪くしてしまう私も、不思議なことにこの空間でならば何でもないものに感じてしまったものです。


何度もここでココアを飲み、店主である新田さんのこれまでの生活について話を聞きました。その生き様は豪快そのもの。フロンティアを切り拓く勢いは凄まじいものがありましたが、ここでその話を書くのは紙面がとうてい足りません。


新田さんが年齢と体力を理由に店を閉じ、私にその空間をバトンタッチすることを提案くださったのは、かれこれ1年以上前のことです。長いこと悩み、その間新田さんは、閉店の噂を聞きつけた他の方々からのオファーをすべて断り、私の答えを待っていてくださいました。


ここで私は妻とともに、日本茶と包子のお店をすることになります。はじめて事業のために融資を申し込み、そして無事に借りることが出来たので、気持ちは一段と引き締まっています。


今日は、新田さんが立っていた厨房に入っていくつかのお茶のサンプルをみていました。すでに自分たちが借り受けた物件とはいえ、まだまだ他人行儀になってしまいます。家主の息遣いは簡単に拭えるものではないし、そもそも私は拭おうとしていません。純喫茶店であった過去を塗りつぶさないようにしながら、水気の多い墨汁が半紙をじんわりと染めて灰色のグラデーションをつくるようにして、自分たちの生活を遠慮ぎみに溶け込ませていくのです。壊せば、半世紀の息遣いはいったん死んでしまいます。



地域に愛された空間に息づく気配は、さながら縁日ですくってきた金魚のようなものです。水の管理を誤ってまずい世話をしていると死んでしまいます。私は、この空間にいる金魚を殺して新しい魚を放ちたいのではありません。まだ泳げる健康的な余地を残しながら、半世紀ぶりの衣替えをやる。


どうしてそうするのかといえば、ローカルの気配は、そこに出入りしてきた人の、そしてこれから来てくれるかもしれない人の、共有財産だからです。そのような場所を乱暴に扱うことは単に許諾の問題ではないと考えています。好き好んでそこにいる金魚を殺したい人はいないでしょう。私は金魚の世話を頼まれただけの人間です。


...


店という外殻を得ても、私はマッチョになるわけではありません。お茶を見る目が鋭くなる訳でもありません。扱うお茶がより美味しくなる訳でもありません。でも、今までよりも農家の気持ちに接してもらえる機会は増えるのかなと期待しています。


もちろんお店ができることは楽しみですが、必要のない思い上がりはないようにしたいものです。


きのうの夕方のこと。幼稚園に娘を迎えにいくために自転車をこいで坂道を登ると、あっという間に息があがってヘトヘトになりました。半端な格好で外に出たから寒くて寒くて、頬を切るような風に震えました。それだけでも、自分が店を持つからといって思い上がるなとか、特別なステージに登る訳ではないし、他のみんなと同じように身一つで生きているのには変わりがないぞとか、感じるにはじゅうぶんです。


ただ、その生活の変化には、主体的な取捨選択がきちんと生きていると思っています。もちろん、ひとつひとつの選択肢は自分が用意したものではなく、目の前にそれを揃えてくれた人がいてこそ、です。


お陰様という言葉は、本当にそのとおりですね。


...ところで金魚って、お茶のなかでも生きられるのでしょうか。

0件のコメント

最新記事

すべて表示