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  • 岡村友章

無理しない農家。


奈良市、都祁南之庄町(つげみなみのしょうちょう)。

ここに、「無理しない農家」羽間一登さんが住まわれています。

ずっと前から会いたいと願いつつも、なかなか叶わずにいたのですが

このたびやっと!出会うことが出来ました。

羽間さんは大阪の堺市生まれ。

大阪府立の農業高校、岐阜の農業大学校に通い、その後は北海道や大阪で

無農薬有機栽培や、自然農法を学び続けてこられました。

かの「わら一本の革命」の福岡正信さんにも、一念発起して自転車で愛媛まで

会いにいったという健脚の持ち主なのです。

羽間さんは、茶だけを作っている農家ではありません。

野菜、原木しいたけ、米も幅広く手掛けるプロフェッショナルです。しかもぜんぶ自然農法。

*自然農法の定義にはさまざまあるようですが、基本的に「無農薬・無施肥」といってよさそうです。

羽間農園のスタッフ。羽間さんの奥さまと、羽間さんの妹ご夫婦。若くて、賑やかで楽しそうですね!

手に持っているのは原木椎茸の、ほだ木。

そもそも僕が羽間さんに会いたいと思ったきっかけ。それは彼のつくる番茶でした。

あいにく写真がないので、想像してお読みください…

3年ほど前のある日、僕は高熱に伏せっていました。

その日の午前中、ひょんなことで知った羽間さんの番茶が家に届いたのです。

高熱も、僕の「お茶飲みたい熱」を邪魔することはありませんでした。

フラフラになりながらも台所で茶を淹れ、ひとくちすすりました。

すると、なんだこれは!

茶が喉もとを通り過ぎるや否や、全身にしみ渡るような感覚を覚えたのです。

よく水を吸うタオルの先端を水面にちょいとつけたときのように、

じわじわっと羽間さんの番茶が全身を駆け巡ります。

乾いた体が潤って、すっきり。熱で疲労した体が「それ、もっと飲め!」と明らかに訴えていました。

お茶には、単に味覚嗅覚においしいだけではなく、

体が本能的に求める何かを秘めたものが存在することを体感した瞬間でした。

それは、茶がもともと持っている生きようとする力を引き出す、

自然農法の賜物なのでした。

羽間さんは、都祁に入植してから、たちまちに耕作放棄地を自ら引き受け、

見事に復活させ続けています。圃場は10カ所以上にも上ります。スゴイ。

この茶園には、樹齢90年越えの在来種が根付いています。

「在来」とは、人為的な品種改良を経ず、種から育った土地固有の茶のこと。

ひとつひとつの種が異なる性質を現すので、葉色の濃淡、葉の大きさ等がひとつひとつまばら。

素朴で胸につかえない味わいを示すことが多く、僕はこれに目がありません。

このような圃場を羽間さんが復活させ、地域の方々からはとても有難がられているのです。

羽間さんのおもしろい取り組みをご紹介。

上の写真、羽間さんを取り囲むのは、「わざと、ほぼ、ほったらかしにしている」茶園です。

ここでは茶樹が好き放題に伸びて、3メートルほどにまで達しています。

春にはここで手摘み茶のイベントをやるのだそうです。

子どもたちはジャングルの中で新芽を探し、自分で摘み、

そうして羽間さんの用意した釜で釜炒り茶をつくり、山から切ってきた薪で湯をわかして飲む。

どんなに贅沢なことか!

私たちは、ともするとお金をたくさん使うことが「贅沢」と捉えがちですが、

それは単に終わりなき消費です。羽間さんのこうした取り組みこそ

心身を満たしてくれる本当の贅沢といって言いのではないでしょうか。

これが、その「ほぼ放置茶園」の区画です。人より背が高い茶しか生えていません。

羽間さん、「僕が横に立ってれば比較しやすいでしょう!」とサービス満点。

ついでに言うと、羽間さんの笑顔は素敵です。

「屈託がない」という言葉はこの人のために用意されているようなものです。

羽間さんと、愛用の揉捻機。

農業観について、少し話を伺いました。

まず、「農業にはお金がかかると言われるけど、決してそうではない」と羽間さん。

確かに、就農セミナーなんかに参加しますと、「補助金数百万円を支給!」とか、

「公的融資を優先的に受けられます!」というように言われます。

それで高額な重機を買ったり、コストの高くつく農薬や肥料に疲労してしまうのです。

やがて、お金のかかる営農から抜け出せなくなる…

羽間さんは、就農したときの資本がいくらだったと思いますか?

答えは、5万円。

タイプミスではありません。

どうしてそんなことが可能だったのでしょうか。

それは、羽間さんが無理をしない農家だから。

「農業は、鍬と鎌があれば、出来ますよ。僕は100均の鎌で始めました。

車だって、1万円で安いものを譲り受けて数年は乗り続けました。

農作業は機械に頼らず、自分の手でやればいいのですから」

「自然農法は収量が少ないけど、それでもその良さを分かって

買ってくれる人がいるし、そもそもお金はそんなに使わないから

あまり問題ではありません」

「営利的なシステムに走ろうとすると、地域に根っこを降ろした

ローカル社会のリズムからはみ出てしまう。だから無理な拡大路線は

決してとらないし、そうするくらいなら地域との付き合いに時間を割きたい」

等々、極めてシンプルで洗練された世界観が次々に披露されます。

そうした価値観に最も合うのが、自然農法だった訳です。

そういえば前回のリポートの中で、「神農・阿部さん」も「肥料は人の欲だ」と言っていました。

羽間さんの持つ茶畑の中でも、最もおいしいと感じるところは

なんといちばん土が痩せているところのものだそうです。

茶は強い樹です。厳しい環境にあっても、どうにか枯れることなく

細々とでも生き続ける強靭さを持っています。

たとえば肥料が少なければ、根っこを頑張って伸ばし、

土中のミネラル等養分を取り込めるように茶樹が頑張ります。

その頑張りが、人にとっては都合のよいことに「おいしい」に繋がるのです。

その茶樹を見ましたが、まさに息も絶え絶えという様子でした。

でも、それがいちばんおいしいのだと…

余計なことはしなくていい、と、茶樹が人に言っているようです。

農法にしろ、自然との向き合い方にしろ、広く応用のきく教えであるように思われます。

羽間さんのつくる番茶は、にほんちゃギャラリーおかむらのラインナップに加える予定です。

本当に、よいお茶です。自分で全部飲みたいくらいです。

おいしいって、舌が言うんではなくて、体が言うんです。

そういうお茶を、残さなければ。

そういえばその番茶の作り方をご紹介していませんでした。

これは、羽間農園手製のパンフレットがあるので、それをお見せしましょう。

「いまこそ農業」なんてよく騒がしく言われています。

そもそも農とは、職業のひとつではなく、人の基本的な営みのひとつであったのではと思います。

儲けるためのものではなかっただけではなく、

地域と連環しあい、支え合い、ギブ&テイクの和のなかで

循環していく生活様式。「循環」からスピンオフすることもない。

その構図が「農」というものの本来の姿なのではないでしょうか。

野菜をつくって、米をつくって、お茶もつくる。

それらを売ったり、自分で食べたりしながら、同じ土地の同じ神さまを皆で

敬ったり、互いの出来ることを活かしあったりして過ごす。

目の前でありありとそのスタイルを貫く羽間さん。

茶農家としてはじめは捉えていたけれど、彼の思想全体に触れるにつれ、

それでは十分ではないことが分かりました。

我々はどのように暮らすべきか?その答えのひとつを、羽間さんが実践中です。